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デング熱と鎖国政策

虫めがね vol.40 No.6 (2014)

今年の夏に、日本ではすでに無くなったと考えられていた熱帯性のデング熱の患者が見つかって、新聞やテレビで大きく報道された。患者はいずれも海外渡航歴はなかった。更に、数名の患者が見つかり、調査の結果、これらの患者は共通して、東京渋谷区の代々木公園内でヤブ蚊(ヒトスジシマカ)に刺されていることや、代々木公園内で捕獲されたヒトスジシマカからデング熱のウイルスが検出されたことなどで、代々木公園で感染したことが明らかになった。その後、東京都に隣接する千葉県の公園や兵庫県西宮市などでも感染例が見つかるなど、全国的な広がりを見せている。

現在のようにグローバル化した社会では、地球の反対側にあるアフリカや、南米からでも、二四時間以内に日本に来訪できる。大勢の外国人が日本にやって来ているし、また、大勢の日本人が外国に出かけており、そこで何らかの感染症にかかり、発症前に日本に帰国し、帰国後に発症する可能性も大きい。つまり、人の交流のグローバル化は、感染症もグローバル化すると言うことである。

今から約三五〇年前(一六六四~一六六五)に、ロンドンでネズミノミが媒介するペストが大流行した。最盛期には毎週六千~七千人のロンドン市民が亡くなった。この「ロンドンの大疫病」は、当時のロンドンの人口約四十六万人の二十%あまりが消滅するほどの大流行であった。この疫病は、その後、ドーバー海峡を渡り、大陸に波及し、ドイツ、オランダ、ベルギー、オーストリア、ハンガリーなどへ飛び火し、そこでも大勢の人々が亡くなった。

当時の日本は徳川幕府の施政下にあり、厳しい鎖国政策をとっていた。日本に来航できる外国船は中国船かオランダ船に限られていた。寄港できる港も長崎の平戸港に限られ、来訪した外国人の居住地も長崎の出島に制限した。これらの厳しい鎖国政策は、当然、海外からの感染症の流入を大きく阻むことになる。徳川幕府は自分の政権を長期に安定的に守る為に鎖国政策をとったわけだが、この政策は外来性感染症から日本国民を守る効果があったことになる。

日本国内にペストが初めて上陸したのは、徳川幕府が崩壊し、鎖国から開国政策に切り替わった明治時代に入ってからである。

(赤タイ)

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