木材保存誌コラム

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木材保存誌コラム

わが家の庭の野鳥たち

虫めがね vol.48 No.3 (2022)

わたしが住んでいる家から南へ一五〇mほど離れた所には、木々が生い茂った小さな森がある。その森はさらに南に向かって標高二八四mの石切山という小山に連なっている。このような環境に住んでいるお蔭で、春になるとわが家の庭にはいろいろな野鳥がやって来る。メジロ、ウグイス、スズメ、ツバメ、ヒヨドリ、イソヒヨドリなどである。カラスもやって来るが、カラスが来ると他の小鳥たちは逃げてしまうので、カラスは追い払うことにしている。

ヒヨドリは日頃から山野で飛翔している昆虫などを捕まえて食べているせいか、空中に放り投げた餌(パンを小さく丸めたもの)を素早く飛んで行って嘴でキャッチする。その動作が素早く見事なので、その姿に惹かれて、毎朝ヒヨドリに餌を放って空中キャッチするのを楽しんでいた。これを繰り返すうちにますます上達してきて、わたしが投げる方向を察知して予めキャッチしやすい場所に待機している。ある日、わたしが朝寝坊して起きたら、窓際に待っており、窓を「コツコツ」とつついて餌の催促をしている。

今年の春はヒヨドリの来訪は少なくて、代わりにイソヒヨドリが毎朝やってきた。雄のイソヒヨドリは頭部が青く腹部は茶色をしていて、カラフルできれいな鳥である。磯(いそ)ヒヨドリはその名のとおり、海岸の岩礁や崖などに棲息していたが、最近では市街地の工場や倉庫などの隙間で繁殖するようになったようだ。市街地の構造が海辺の岩場に類似している為であろうか。イソヒヨドリもヒヨドリに負けず劣らず、空中に放った餌を見事に嘴でキャッチする。イソヒヨドリよりヒヨドリの方が体は大きくて飛翔も素早く、放った餌を空中キャッチするのも上手い。

三月も半ばを過ぎれば、これらの小鳥たちの来訪もだんだん少なくなる。そして山野に梅やツツジや椿が花咲く頃になるとほとんどやって来なくなる。わざわざわが家にやって来てパンの屑をもらわなくても山野にはおいしい花蜜や木の実などの食物が手にはいるようになったようだ。

わたしが今の地には平成の初めに転居してきたので、はや三〇年余りになる。はじめの頃に比べると小鳥たちの来訪はかなり少なくなった。

かつては、スズメは十数羽くらいが群れてやってきていたのが、最近は数羽がやってくる程度である。住環境の改善の名の下に山林開発、道路の舗装、川の護岸工事など、人間は自然を改変(破壊?)して草木の繁みが少ない環境に変えている。それで草木を住処とする虫たちが減り、虫たちを食糧としている小鳥たちも餌が少なくなり減っていく。小鳥たちは居ても良いが、虫は少ない方が良い、という人間の勝手な論理は自然界には通じない。虫も少なくなり小鳥も少なくなった。寂しいかぎりである。

♪鵯に芸を仕込んで暇親爺

(赤タイ)

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コロナ禍とオンライン化

虫めがね vol.48 No.2 (2022)

二〇一九年末に中国の湖北省武漢市で最初に感染者が確認された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はその後、世界に蔓延し、WHOはパンデミックを宣言した。このコロナウイルスはアルファ株から始まり、デルタ株、オミクロン株などと変異して、新たな戦士を世に送り込み、二年以上経った今でも、沈静化の様子を見せない。このパンデミックは人々の仕事のやり方や生活様式、さらには政治にまで変化を強いている。いずれ歴史を変えるに違いない。

その一つとして、オンライン化を見てみる。日米首脳会談や欧州首脳会議など国際会議がオンラインで行われている。わたしが関係しているいくつかの学会も、今ではほとんどオンラインである。学会の場合、例えば鹿児島で学会があると鹿児島に出かけ、その土地のおいしいお酒や食べ物を味わい、ついでに名所を見物できるという副次効果があったが、いまではそんな楽しみも無くなった。大学の講義もオンラインで行われ、学生たちは自宅に居て講義を受けている。会社の仕事もテレワークと称して会社に出社せず自宅である程度の業務はこなす。仕事の打ち合わせもオンラインで行われる。病気の場合は、患者が病院に行かなくても、オンライン診療を感染防止対策として厚生労働省は推奨している。

オンラインは人と人が接触する三密を避けることや、移動中の交通機関などでの感染を避けるために取られている方法である。それは他方、集まるための移動時間の節約や通勤ラッシュなども緩和される利点がある。超多忙な各国首脳などは時間をかけて集まる必要もないので、比較的手軽に(?)オンラインによる首脳会談が行われているようだ。大学の講義などはマスクをして大教室で間を開けて座るなどの三密対策をとって出校を認めるが、オンライン講義も並行するというハイブリッド講義なども行われている。病気の場合、病院まで遠いとか、医者がいない離島に住んでいる患者もオンライン診療なら受けられる。薬は別途、宅配便で受け取れば良い。

このような変化は将来コロナ禍が治まっても完全には元に戻らないだろう。オンラインによる首脳会談はその便利さの為に今後も続くだろう。大学の講義にしても学生たちのアンケートでは、コロナ禍が治まった後もオンライン講義は残して欲しいという意見が多数のようだ。会社勤務にしても週に何日かは出社するにしても満員電車で毎日出勤することもない。自宅でオンライン業務で問題なく仕事が出来ることを会社も社員も理解してしまった。

オンライン化は長期的にはいずれ採り入れられるICT技術であろうが、それがこのコロナ禍のおかげで一挙に加速したと考えられる。

♪怒鳴られて畏縮しておくオンライン

(赤タイ)

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映画「ジュラシック・パーク」の蚊はオス

虫めがね vol.48 No.1 (2022)

蚊の主食は雌雄ともに花蜜や植物の汁液に含まれる糖である。ところがメスの蚊は卵巣を発育させ産卵する為に高タンパクの血液を必要とする。その為、メスの蚊は動物(哺乳類や鳥類など)から吸血するが、オスは吸血しない。従い、あなたの周囲に纏いつき隙あれば血を吸ってやろうと狙っているのは、すべてメスの蚊だ。このことは、蚊を少し勉強された方ならご存知のことである。

これについて面白い話がある。スティーヴン・スピルバーグ監督による「ジュラシック・パーク」という米国映画がある。これはマイケル・クライトンのSF小説を映画化したものである。一九九三年七月に日本でも公開され、空前の興行収入をあげたという大ヒット映画である。この映画の内容は、今から約六五〇〇万年前に絶滅した恐竜の血を吸った蚊が、そのまま琥珀(こはく)(樹脂が化石化したもの)に閉じ込められた状態で現代に発見され、その蚊の体内から血液を抜き取り血液中の恐竜のDNA(遺伝情報)を使って、今の世に恐竜を復元するという話である。ところがある時、居酒屋で友人と雑談している時に、「あの映画に登場している蚊はオスの蚊である。オスは吸血しないので恐竜の血は採取できない筈だ」という話を聞いた。この話が頭に残っていたが、最近この映画がテレビで放映されたので、録画して蚊の状態をじっくり観察した。すると友人が言ったようにオスの蚊だった。蚊のオスとメスはその触角を見れば容易に識別できる。メスの触角は単純で棍棒のようであるが、オスの触角は毛がふさふさしている。監督のスティーヴン・スピルバーグは蚊のオスは吸血しないことを知らなかったのか、知っていてもオスとメスは外観上大差なかろうと判断したのかどうかは分からないが、映画で画面中央にアップされた蚊は触角の毛がふさふさしており、明らかにオスだった。

この話には落ちがある。二〇一二年に発表された米国のマードック大学の研究によるとDNAの半減期は約五二一年であり、DNAの遺伝情報が安定的に存続するのは約一〇〇万年である。それで約六五〇〇万年前の恐竜の血液を抽出しても遺伝情報はすでに分解しており、取り出せないことが分かった。

いずれにしても、この映画はSF娯楽映画であり、大阪にあるテーマパークのユニバーサルスタジオ・ジャパンでは、アトラクションにジュラシック・パークが取り入れられている。大勢の観客の前に突然恐竜が現れて、驚かせて観客を喜ばせている。わたしも孫を連れてユニバーサルスタジオに行ったことがあるが、歩いていると突然後方から恐竜が現れてびっくりした思い出がある。

♪蚊は好きな相手を選び吸血す

(赤タイ)

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パナマ運河開通と総合防除

虫めがね vol.47 No.6 (2021)

害虫防除に係わる人たちにとって、今では常識である総合防除(IPM)の考え方は今から五五年ほど前に農業分野で始まった。当時はDDTやBHCなどの有効な合成殺虫剤が開発され、それらを多用・過剰に使用した結果、害虫の殺虫剤抵抗性発現やチョウ、トンボ、ホタルなどの有用昆虫の減少、そして昆虫類を捕食して生きている小鳥の減少などの環境破壊を起こしたことへの反省に基づいて出された考え方である。

その考え方の骨子は害虫の発生源除去、侵入防止、環境整備などの「生態的防除」を基本とし、それに網戸、蚊帳、捕虫器、誘殺器などの「物理的防除」や天敵などの使用による「生物的防除」を最適に組合せて防除し、殺虫剤による「化学的防除」は必要最小限に抑えるというものである。

ところがIPMの考え方が提唱される六〇年も前に蚊の総合防除を実行した男が居る。米国陸軍軍医W・ゴーガスです。大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河は一八八〇年に仏人レセップスにより掘削が開始された。ところが工事開始後約一ヶ月で一〇三九人もの労働者が黄熱にかかって死亡した。七年後には、工事関係者の約二万五千人が黄熱とマラリアで亡くなった。彼が工事指揮者としてヨーロッパから連れて来た約五百人の技術者の大半が黄熱とマラリアで死亡するか、重症で本国へ送還され、工事続行が不可能となった。レセップスはやむなくパナマ運河建設計画を放棄した。

一八九八年 米国は米西戦争に勝利し、キューバの統治権をスペインから得た。米国はキューバの権益を守る為に太平洋の軍艦をカリブ海に向かわせる軍事戦略上の必要があった。一九〇三年、米国は国家プロジェクトとしてパナマ運河の再起工を開始した。少し前に英人R・ロスは蚊がマラリアを媒介すること、米人W・リードは蚊が黄熱を媒介することを明らかにしていた。それでルーズベルト大統領の指示のもと、ゴーガスは約四千人の衛生部隊を編成し、徹底した防蚊対策を実施した。当時はDDTなどの合成殺虫剤は誕生しておらず、使える殺虫剤は天然ピレトリンがあったが、まだ生産量が限られていた。それで、ゴーガスが実施した防蚊対策は、①運河ルート沿いの水溜りを全部乾しあげる発生源除去、②草むらを焼却する環境整備、③沼地には鉱油を流し込む幼虫対策、④工事関係者の家屋に網戸を普及する物理的防除などを大々的に実行した。そして、一九一四年八月、米国はパナマ運河を開通した。

ゴーガスは当時は陸軍少佐だったが、この防蚊対策などの功績により最後には陸軍軍医総監にまで出世した。

この米国のパナマ運河建設工事には当時二六歳の日本人技術者 青山士(あおやまあきら)が参加し、活躍したという逸話がある。

♪IOC I OWE CASHの意味なのか

(赤タイ)

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俳句と蚊帳

虫めがね vol.47 No.5 (2021)

先日、NHKテレビの俳句教室で「蚊帳(かや)」を課題とした投句を紹介していた。蚊帳は夏の季語であり、夏の生活必需品であったが、今ではすっかり姿を消している。若い世代にとっては名前は聞いたことがあっても、見たこともない道具であろう。それゆえこの番組に興味を覚え録画して視聴した。投句した人たちは当然それなりの年配の詠み手であろう。秀句として、富山県の藤瀬晴夫氏の

“蚊帳の中 明日の剱(つるぎ)岳の地図披(ひら)く”

が選ばれた。

蚊帳はわが国では、すでに奈良時代には貴族階級では使われていたが、庶民の手に届くようになったのは江戸時代になってからである。奈良や近江(滋賀県)で生産された麻蚊帳が舟で江戸に運ばれて江戸の町で売られた。「蚊帳売り」が“蚊帳ァー、萌黄(もえぎ)のかやァー”と美声を張り上げて江戸の町を売り歩いたそうだ。

“蚊帳売りの声のいいのを女房呼び”

という古川柳が残っている。

蚊帳の色は麻の生地である明るい茶色が一般的であったが、江戸時代に「近江蚊帳」の製造者が若葉の涼味あふれる緑色にヒントを得て萌黄(もえぎ)色いろ(黄色みがかった緑色)の蚊帳を売り出したら、これが大好評を博して定着したと、ふとんの西川の社史に書かれている。

わたしも子どもの頃は寝る前に蚊帳の四隅にある紐を部屋の柱に掛けて吊って寝ていた。朝になるとこれをはずして蚊帳を畳んで片づけるのが子どもの役目だった。

今では蚊帳はキャンプの時に使うとか、別荘で使うとか、赤ちゃんに蚊は心配だが、電気蚊取り液などの薬剤を使うのは嫌だという健康志向のお母さんたちなど、一部の愛好者向けに売られている。

調べてみると蚊帳は古くから俳句や川柳の句材になっていたのが分かる。江戸後期の小林一茶に次のような俳句がある。

“馬までも萌黄(もえぎ)の蚊屋にねたりけり”

“夕風や馬も蚊帳つる上屋敷”

“留守中も釣り放したる紙帳(しちょう)かな”

紙帳とは麻製の蚊帳が高価で買えない庶民が愛用した和紙を貼りあわせて作った安価な蚊帳の事である。上級武士は愛馬にも蚊帳を吊ったが、一茶はどうやら紙帳で満足したようである。

“蚊屋の内ほたる放ちてああ楽や”

(与謝蕪村・江戸中期)

わたしも子どもの頃、近くを流れる小川でホタルを捕えてきて蚊帳の中に放した。ホタルは蚊帳の壁面に留まってほのかに光を放っていたのを想い出す。

近ごろは蚊帳はもちろんホタルもほとんど見かけなくなった。俳句の世界のものになったのであろうか。

♪炎天下逃れて青い森の中♪

(赤タイ)

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