木材保存誌コラム

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小鳥たちの来訪

虫めがね vol.43 No.2 (2017)

わが家の小さな庭には、梅の木と山桃の木が一本ずつ植わっている。冬になり十二月から二月頃には、この木に近くの森から毎朝小鳥たちが餌を求めてやってくる。この時期は森には小鳥たちの食べ物である木の実や昆虫などが少ないせいであろうか。今年の冬はヒヨドリとスズメがほとんど毎朝やって来た。

最初の頃は餌をやろうと窓を開けると、その音に驚いて小鳥たちは一斉に飛び立ち、遠くからこちらの様子を窺っていた。餌を撒いたら、戻ってきて餌をつつき始める。これを繰り返しているうちに、いつの日か毎朝八時ころにはやって来て庭の木に止まり、餌がもらえるのを待っているようになった。そのうちに窓を開けても驚かず、木にじっと止まって餌がもらえるのを待つようになった。

餌と言っても食パンの耳の部分を刻んだものや、ご飯の食べ残したものを与えるだけである。ご飯は余りお好みでは無いようで、熱心には食べず、地面に撒かれたパン屑を先に食べると木の枝に止まって次にパン屑が撒かれるのを待っている。時には蜜柑を輪切りにして木の枝に突き刺しておく。小鳥たちは甘党のようで、これは好んで食べる。

鳥の顔を覚えているわけではないが、ヒヨドリはほぼ決まった数羽が毎朝やっているようである。スズメが食べているところに体の大きなヒヨドリが近づくとスズメはその場を避けるが、飛び立って逃げる様子は無く、共存して仲良く食べている。

ある日のこと、窓ガラスにドンと何かがぶつかる音がした。ふと見るとヒヨドリが窓の下でじっと待っている。この日は我が家は朝寝坊して、十時過ぎまで小鳥たちの面倒を見られなかった。それで、ヒヨドリはいつまで待っても餌にありつけず、しびれを切らして窓に体当たりして「餌はまだか!」と催促をしたものらしい。ヒヨドリの気持ちも分かる。昨日は一日中雪が降り、今朝もかなり寒い。昨日から何も食べ物にありつけず、お腹を空かしていたのであろう。

このように毎朝やって来た小鳥たちも二月も終わりに近づき、春の日差しが射す頃になると、すっかりやって来なくなる。森に新芽や虫たちが動きだし、わざわざ民家まで行かなくても、小鳥たちの食べ物が手に入るようになるのだろう。

それにしても、五、六年前までは、わが家の梅の蕾が膨らむ頃になると、メジロやウグイスがやって来たが、最近は、ほとんど見かけなくなった。何故だろうか。淋しいものである。

♪今朝の鳥餌はまだかと待ちきれず♪

(赤タイ)

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寅さんの古里

虫めがね vol.43 No.1 (2017)

先日、仕事で東京に行った時(わたしは関西在住)、翌日の予定が空いたので、葛飾柴又の帝釈天に行った。山手線の日暮里駅で京成電車に乗り換えると柴又駅に着く。駅の改札口を出ると「フーテンの寅」さんの像が出迎えてくれる。この葛飾柴又は、映画「男はつらいよ」の車寅次郎の古里である。

柴又駅から帝釈天(題経寺)へ向かう参道の両側には、名物の草だんご屋やウナギ屋など、昔ながらの風情のあるお店が並んでいる。これらのお店を覗きながら参道を歩いていくと正面に帝釈天題経寺がある。題経寺は予想したより立派なお寺であることに驚いた。帝釈堂をめぐる外壁に飾られた法華経説話を描いた木彫や邃渓園(すいけいえん)という立派な日本庭園などがあり感心した。帰りに参道に「とらや」という草だんご屋があったのでお土産に買ったら、その素朴な美味しさに、女房に大変喜ばれた。

更に驚いたことには、帝釈天に隣接した場所に「寅さん記念館」があることである。石原裕次郎記念館や美空ひばり記念館など、実在の有名人の記念館があるのは知っているが、寅さんという架空の人物の記念館があるのだ。この記念館は葛飾区の観光事業で作られたらしいが、寅さん誕生から、いつも振られるマドンナとの名場面などが展示されている。寅さんの実家「くるまや菓子舗」やタコ社長の「朝日印刷所」の撮影セットなども保存してある。その裏手には寅さん映画にたびたび登場した大きな江戸川が流れており、「矢切の渡し」がある。ここらは昔ながらの水郷の風情を味わえる風景であった。

「寅さん記念館」に隣接して、「山田洋次ミュージアム」がある。ここには、寅さん映画の生みの親とも言える山田洋次監督にまつわる記念品が展示されている。寅さんを演じた渥美清がまだ寅さん役に出会う前の作品を映画スチールで見ることが出来る。

なぜ、わざわざ葛飾柴又に行ったかというと、わたし(そして女房も)は、映画「男はつらいよ」の大ファンである。わが家には「男はつらいよ」の映画全四十八作を収録したDVDがほとんどそろっている。夕食を取りながら、これを見て笑うことは食べた物の消化を促進し、健康にも良いのではないかと思っている。

♪寅さんが笑ったような人に会い♪

(赤タイ)

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東北の三夏祭り

虫めがね vol.42 No.6 (2016)

今年の二月にブラジルのリオのカーニバルを見たので、次は日本のカーニバル(夏祭り)を見たいと思っていた。ちょうど良いツアーを見つけたので、それに参加して、八月初めに八戸(青森県)の「三社大祭」と青森の「ねぶた祭」と秋田の「竿燈まつり」の三祭を見に行った。

八戸三社大祭は約三百年前に始まる南部地方最大級の夏祭りと言われる。おがみ神社、新羅神社、神明宮の三社へ豊作加護と報恩の為に始められたとある。二十数台の山車が運行される。お祭りとは言え、三神社に関わるので、どことなく静粛な雰囲気を感じた。

秋田の竿灯まつりは、江戸時代に豊作祈願として提灯をかざして町を練り歩いたことに始まると言われている。四十六個もの提灯を一本の竿に吊るした大きな竿燈を一人の若者が持ち上げる。この大きな竿燈を額や肩や腰に乗せながら、数々の技を披露し、町の中心部にある竿燈大通りを練り歩く。その姿は、ダイナミックな秋田男の男意気を感じる。

東北地方最大と言われる青森ねぶた祭は、江戸時代に始まる「七夕祭」に起源があると考えられている。「ねぶた」とは、「ねむり流す」(眠気を流す)という津軽ことばが転訛したと考えられている。ここに登場する大掛かりな「燈籠」は、色鮮やかで豪華絢爛そのものである。約二十三台の大型燈籠が市の中心通りを流れて行く。この後に、大勢の囃子と跳は ね人とが随って行く。跳人とは読んで字のごとく「ラッセラー・ラッセラー」の掛け声をかけながら、右脚と左脚で交互に飛び跳ねて歩く。陽気でエネルギッシュな祭りである。

これらの三つの祭りは三者三様に雰囲気や味わいなどに特徴があり、十分に楽しめた。これらの祭りに共通して言えることは、老いも若きも、男も女も、そして子どもたちも、地域庶民がみんなで楽しんでいるということ。祭りが始まった江戸時代から庶民の祭りであり、楽しみであったのだろう。それ故、これだけ長く伝統が保たれ、かつ大がかりな祭りが続いているのだろう。

私の個人的な感想としては、東北最大と言われる、陽気でややバカ騒ぎ気味の「ねぶた祭」よりも、男たちが真剣に妙技を競う「竿燈まつり」の方が感動した。

♪"ラッセラー"老いも若きも飛び跳ねる♪

(赤タイ)

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クルーガー野生動物国立公園

虫めがね vol.42 No.5 (2016)

今年の一月に南アフリカ共和国の東北部にある、クルーガー国立公園に行った。公園とは言え、わが国の四国四県を上回るほどの広大な面積を持つ鳥獣保護区である。ここでは野生動物たちが自然のままに棲息している。この自然のままの野生動物を見たいと思ったのがこの国立公園を訪問した目的である。

広大な面積に動物たちは自由に動き回っているので、今は、象は何処にいるのか、キリンはどこを移動しているのかは分からない。九人乗りのサファリカーに乗って、動物たちが居そうな場所を目指して移動するのである。うまく象の群れやシマウマの群れに出くわせればラッキーと言うものである。どこに行くかは、サファリカーのガイドである運転手の判断である。うまく動物たちに出会えるかどうかは、このガイドの能力と勘に大いに依存している。

午前中に三時間くらい、午後は二時間くらい、サファリカーであちこち走り回った。キリン、シマウマ、カモシカ、サイ、インパラなどが草原で草を食べている姿や、カバやワニが沼池に潜んでいる姿を近くから見ることが出来た。ラッキーだったのは、三十頭を超える親子連れの象が集団で移動しているのに遭遇したことだ。わが国にもあるサファリパークなどでは見ることが出来ない光景である。象たちは我々が近くにいることを気にする様子もなく、大きな母親象や小さな子ども象などの群れが、どやどやとわれわれの眼前を横切って行ったのは壮観であった。シマウマの群れにも遭遇したが、彼らはのどかに草を食んでいた。昼間はライオンなどは襲ってこないことを知っているのか、周囲におびえる様子もなく、のんびりと草を食んでいるように見えた。

食獣動物であるライオンやヒョウは、早朝に獲物を狩りに活動するが、昼間はほとんど木陰に眠っているので見ることが出来なかった。ほかの動物たちも昼間は暑さを避けて、昼寝の時間なのか、真昼間の数時間は、ほとんど大型動物は見かけなかった。

ガイドの運転手によると、「今年は雨が非常に少ない。それで動物が少なくなった」そうである。確かにところどころで見た川の水は涸れていた。雨が少ないと動物たちの飲み水は乏しくなり、草木は育たない。草木を主食とするシマウマやインパラやカモシカたちは生きるのに困るだろう。彼らにとって、敵は自分たちを襲ってくるライオンやヒョウではなく、厳しい環境(旱魃など)である。

♪キリンさん迷惑そうにこちら見る

(赤タイ)

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お爺ちゃん、お婆ちゃんは、なぜ孫が可愛いのだろうか?

虫めがね vol.42 No.2 (2016)

お爺ちゃん、お婆ちゃんたちは孫が可愛いことを“目の中に入れても痛くない”ほど可愛いという。わたしにも孫がいるが、確かにかわいい。自分の二人の娘の幼稚園の運動会や学芸会などには、仕事が忙しくて行った記憶がない。ところが孫の場合には万障繰り合わせてでも見に行っている。何故だろう?

子育て世代のお父さん、お母さんは仕事もまだ現役で大変忙しい。仕事を休んで子どもの運動会には行き難い。ところが、お爺ちゃん、お婆ちゃん世代は、現役は退いて時間的にも余裕がある。だから、見に行けるのだ。つまり、時間的余裕が理由の一つである。

それに、お父さん、お母さんは子どもの養育に責任がある。一人前にひとり立ちできるまで育てる責任がある。可愛い、かわいいと甘い気持ちにばかりにはなっておれない。ところが、お爺ちゃん、お婆ちゃんには直接の責任はない。ちょっと距離を置いて眺めているので、“かわいい”の感情が大きくふくらむという精神的余裕が二つ目の理由である。このような説明を今まで聞いてきたし、そういうものかもしれないと思っていた。

これらの理由も正しいと思うが、別の理由もあるのではないかと思えてきた。ヒト(ホモ・サピエンス)と最も近い霊長類であるチンパンジーは、出産した母サルは子サルが一人立ちするまでの約五年間は子育てに手を取られて、次の出産が出来ない。ゴリラも約四年間隔でしか出産しない。ところが我々ヒトは、子どもが離乳食を食べ始める生後五、六ケ月頃から、お爺ちゃん、お婆ちゃんが子育てに参加し、母親の負担を軽減する。それで、ヒトの母親は毎年でも出産可能である。その結果、ヒトは地球上に現在七十億人を超える大繁殖を成し遂げた。チンパンジーやゴリラと比べてその数の差は歴然である。現在のヒトの祖先は約二十万年前に地球上に現れた。その後の二十万年の歴史の中で、孫が可愛い、私が面倒見てあげると母親に代わって育児を積極的に手伝うお爺ちゃん、お婆ちゃんの血統(DNA)が現在繁栄しているヒトとして残った。当然、面倒見が悪い血統は淘汰された。

つまり、現在この世にいるヒトは、孫は目の中に入れても痛くないほど可愛いと思うDNAの持ち主の子孫である。お爺ちゃん、お婆ちゃんが孫が可愛いと思う気持ちは長い間にヒトのDNAにインプットされているのである。

♪孫を抱く妻の笑顔の甘いこと

(赤タイ)

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