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木材保存誌コラム
俳句は川柳よりすぐれた文芸か?
虫めがね vol.51 No.4 (2025)
俳句の方が川柳よりすぐれた文芸だと言う人がいる。そう言う人は、
「川柳は単純に笑わせるだけ」
「川柳は品位に欠ける」と言う。
確かにシルバー川柳、サラリーマン川柳、夫婦川柳、駄洒落川柳など人を笑わせて受けを狙った句もある。
俳句と川柳はどこが違うのかを考えてみよう。どちらも五・七・五の十七音で構成されており同じである。俳句には季語や切字があるが川柳にはなく、自由である。俳句は自然や花鳥風月を詠むが、川柳は人間や社会を詠う、などの大まかな違いはある。これとても近年の人々の生活態様の多様化や社会構造の変化に伴って、俳句と川柳の垣根は風化してきている。俳句で人間を詠った句もあるし、川柳で自然の状況を詠んだ句もある。
今では温室で栽培された季節外れの綺麗な花が、年中花屋の店頭に並んでいる。また、地球の温暖化、異常気象の影響で近年は四季ではなく二季であるという人も居る。冬が去り春がやって来ても短く、すぐに猛暑の夏がやって来る。夏が終わり秋がやって来ても短くすぐに寒い冬になる。このように、季節感が変化して、季語と言うのが我々の生活感覚から遠くなっている。
江戸時代の後期に、川柳には「狂句百年」と呼ばれる時代がある。当時の川柳作家たちは駄洒落や掛け言葉や語呂合わせなどをふんだんに詠み込んで大衆の受けを狙った時代があった。ところが明治時代に入って狂句の歴史を否定し、川柳の初期の文芸精神に戻ろうという運動が起って「現代川柳」の姿になった。
俳句と川柳は異なる文芸であり両者を比較してどちらが優れているかを考えることは無意味であり、不可能である。油絵と水彩画はどちらが優れているかを考えることが無意味なようなものである。どちらが好きかと言うことは、個人の嗜好の問題であり、あり得るだろう。
わが国では俳句人口が多く、川柳は少数派である。NHKのテレビでも、教養番組に俳句教室はあるが川柳教室はない。大手新聞の文芸欄を見ても、ほとんどの新聞に俳句は採りあげているが川柳欄は少ないか全然掲載しない新聞もある。
わたし自身は好みから言えば川柳の方が好きである。川柳の人間の生き方や心情を五・七・五の小宇宙に濃縮することに興味を持つからである。それで近くのカルチャーセンターの「川柳教室」に通って川柳を学んでいる。
♪人生のパスルが解けずまだ逝けぬ
(赤タイ)