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木材保存誌コラム

俳句は川柳よりすぐれた文芸か?

虫めがね vol.51 No.4 (2025)

俳句の方が川柳よりすぐれた文芸だと言う人がいる。そう言う人は、
「川柳は単純に笑わせるだけ」
「川柳は品位に欠ける」と言う。

確かにシルバー川柳、サラリーマン川柳、夫婦川柳、駄洒落川柳など人を笑わせて受けを狙った句もある。

俳句と川柳はどこが違うのかを考えてみよう。どちらも五・七・五の十七音で構成されており同じである。俳句には季語や切字があるが川柳にはなく、自由である。俳句は自然や花鳥風月を詠むが、川柳は人間や社会を詠う、などの大まかな違いはある。これとても近年の人々の生活態様の多様化や社会構造の変化に伴って、俳句と川柳の垣根は風化してきている。俳句で人間を詠った句もあるし、川柳で自然の状況を詠んだ句もある。

今では温室で栽培された季節外れの綺麗な花が、年中花屋の店頭に並んでいる。また、地球の温暖化、異常気象の影響で近年は四季ではなく二季であるという人も居る。冬が去り春がやって来ても短く、すぐに猛暑の夏がやって来る。夏が終わり秋がやって来ても短くすぐに寒い冬になる。このように、季節感が変化して、季語と言うのが我々の生活感覚から遠くなっている。

江戸時代の後期に、川柳には「狂句百年」と呼ばれる時代がある。当時の川柳作家たちは駄洒落や掛け言葉や語呂合わせなどをふんだんに詠み込んで大衆の受けを狙った時代があった。ところが明治時代に入って狂句の歴史を否定し、川柳の初期の文芸精神に戻ろうという運動が起って「現代川柳」の姿になった。

俳句と川柳は異なる文芸であり両者を比較してどちらが優れているかを考えることは無意味であり、不可能である。油絵と水彩画はどちらが優れているかを考えることが無意味なようなものである。どちらが好きかと言うことは、個人の嗜好の問題であり、あり得るだろう。

わが国では俳句人口が多く、川柳は少数派である。NHKのテレビでも、教養番組に俳句教室はあるが川柳教室はない。大手新聞の文芸欄を見ても、ほとんどの新聞に俳句は採りあげているが川柳欄は少ないか全然掲載しない新聞もある。

わたし自身は好みから言えば川柳の方が好きである。川柳の人間の生き方や心情を五・七・五の小宇宙に濃縮することに興味を持つからである。それで近くのカルチャーセンターの「川柳教室」に通って川柳を学んでいる。

♪人生のパスルが解けずまだ逝けぬ

(赤タイ)

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イタリア人は蚊に刺されないのか?

虫めがね vol.51 No.3 (2025)

かなり昔の話になるが、仕事でイタリアに出張した時のことである。イタリアでは牛豚舎のハエをどのように駆除しているのか視察する為に地方の山村に行った。数か所の牛豚舎を見て回るうちに、わたしの両腕には蚊に刺されて赤く腫れた膨疹があちこちに出来て痒くてたまらなかった。夏の暖かい日であったので半袖シャツを着ていたので両腕のあちこちが襲われたのだ。

“痒くてたまらん”という顔をしていたら、同行していたイタリア人の案内人二人は、わたしの腕を見て「ケラケラ」と笑っている。二人とも蚊攻撃はなく、何ともないらしい。山村なので蚊は沢山いる。二人のイタリア人も蚊に刺されている筈である。それとも蚊はイタリア人(白人)は好きでないのか?有色人種のわたしを好んで襲ってくるのか?不思議でならなかった。わたしは皮膚が過敏で、蚊に刺されると大きく膨れ上がって痒くなるのは日本でもたびたび経験している。それにしても二人のイタリア人はなぜ蚊に刺されないのか?この疑問はずっと今に至るまでわたしの頭の片隅に残っていた。

最近ある文献を読んでいたら、蚊に刺されて痒いのは蚊が刺咬中に人体に注入する唾液(タンパク質)に対する人体のアレルギー反応による。そして、そのアレルギー反応は人によって即時型反応、遅延型反応、無反応があることを知った。また、長い間、蚊に刺され続けていると年齢とともにアレルギー反応は減弱して無反応になると書いてあった。

あの時、わたしは蚊に刺されて三〇分くらいして痒くなったので即時型反応であったろう。そしてその痒さは翌日も残ったので遅延型アレルギーも併発したと思える。二人のイタリア人はおそらくこの地で長く暮らして、牛や豚の飼育に従事しているうちに何度も蚊に刺されて、しだいにアレルギー反応は減弱し無反応になったと考えられる。二人は蚊の攻撃を受けなかったのではない。蚊に刺されても無反応(痒くない)になったのだろう。また蚊は黒い色を好み、メラミン色素の多い日焼けした人や黒人、黄色人を白人より好む傾向があるので二人のイタリア人よりもわたしが多く刺されたということもあり得る。

さらに、日本にいる蚊とイタリアにいる蚊では刺咬中に注入される唾液中の抗原に微妙な違いがあり、イタリアの蚊に刺された経験がなかったわたしには過敏に作用することもあったかもしれない。

これで今までずうーと頭に残っていた疑問が解けたような気持になった。

この話題は以前にもこのコラム「虫めがね」(第四九巻三号)に書いたので今回はその続編となる。

♪雪溶けて春は若葉と幕明ける

(赤タイ)

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「虫めがね」百回記念

虫めがね vol.51 No.2 (2025)

次号用にこのコラムに何を書こうかなと、過去に掲載されたコラムをぱらぱらとめくっていたら、次回でちょうど百回目になることに気付いた。第一回は二〇〇七年に雑誌「木材保存」第三三巻三号に掲載されている。今年は二〇二五年なので二〇〇七年から書き始めて足かけ十九年に渡り百回の執筆をしたことになる。書いたわたしもよくぞ百回もと思うが、木材保存の編集者の方もよくぞわたしの下手な原稿を引き続き受け入れてくれたものだと感謝の気持ちが湧いてくる。

「木材保存」の発行は二か月に一回である。この間隔はわたしが虫めがねの原稿を書くのにもちょうど良く大きな負担にならないことが百回も続いてきた大きな要因であろう。

コラムとは何であろうかと改めて広辞苑を引いてみると「新聞・雑誌の囲み記事」とある。内容については何も制限はないようである。

百回というと大きなひと区切りである。これまでにどんな内容のことを書いたのだろうかと調べてみた。

・害虫、昆虫、虫など

・鳥、動物、ペットなど

・植物、野菜、薬草など

・食べ物、飲み物

・スポーツ(ゴルフなど)

・文藝、川柳など

・旅行、観光

・人間生活、社会生活

など様々である。系統だってはいない。ただわたしの専門が「殺虫剤」であるのでそれに因んで害虫、昆虫など虫に絡んだ話がやや多い気がする。

コラム名の「虫めがね」は日頃些細な事として見逃していたような事でも虫めがねで拡大してじっくり見ると興味深いことが見えてくるという意味でつけた。このコラムの原稿の種を探す為にも、日頃の生活も注意深く見ることを心がけている。このことは後期高齢者になったわたしには脳細胞を刺激して呆け防止の効果があるという余徳がある。

このコラムには文字数が八七〇字前後という縛りがある。思いつくことをだらだらと書くのは容易であるが、すぐにこの縛りを超えてしまう。それでどれを残し、どこを削るか絞り込むのに工夫がいる。絞った結果エキスが残って味のある文章になることが多い。

これから何を書くかは、これからどこに行って何を見て、何を考えるか、何を経験するかにかかっており、自分でも大いに興味深い。あちこちに旅行して新しいものを見て、聞いて、美味しいものを食べて、いろいろな経験をしようと思っている。

今の心境は、この「虫めがね」をあと何回つづけられるかどうかは不明であるが、次の二百回記念を目指してスタートするのだという気持ちでいる。

♪石を積む ひたすらに積む暮れるまで

(赤タイ)

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漢方(薬草)の楽しみ(続編)

虫めがね vol.51 No.1 (2025)

「梅酒」これは薬草とか漢方とかに興味を持つ前から嗜好品として飲んでいた。毎年六月の下旬ころに青梅とホワイトリカーを買ってきて二瓶ほど漬けている。年末には飲めるようになっているが、飲まずに小瓶に入れて保存し、熟成にまわす。飲むのはすでに熟成させた二年ものや三年ものである。熟成させると味が軟らかくてまろやかになり美味しくなる。わたしが長く梅酒を愛用しているのは、夏に猛暑が続き夏バテ気味となり食欲も落ちてきた時に食前酒として飲むと食欲を刺激し、疲労回復の効果があるからである。その他に、書によると老化防止や動脈硬化を防ぐ効果が大きいそうである。梅酒をとって小瓶に移すとあとに梅の実が残る。これをそのまま齧ると甘酸っぱくて美味しい。

次は「金柑」である。金柑は三年ほど前にホームセンターで苗木を買ってきてわが家の庭に植えた。秋になると黄色い小さな実が生る。生で果皮のまま食べられるので、収穫した実を器に入れて食卓の上に置いて適当に食べている。おやつ代わりである。薬効としてはのどの痛みや咳止めに効果があると書いてある。また、金柑酒は風邪や疲労回復や精神安定作用があるそうだが、わが家の金柑はまだ若くて収穫量が少ないので金柑酒は作っていない。

「ドクダミ」「センブリ」「ゲンノショウコ」と聞くとわたしが子どもの頃、胃腸が弱く虚弱体質だったのを母親が心配して、これらの薬草を採って来て煎じて飲ませてくれたのを思いだす。大変苦くいやな臭いがする煎じ薬で、我慢して飲んだ記憶がある。今年の六月頃、いつも散歩している道から少し離れたところに「ドクダミ」が白い花を咲かせて群生しているのを見つけた。これを茎葉ごと刈り取って日干しにし、乾燥したものを約2~3‌cmの大きさに切断して袋に入れて保存している。ハト麦茶と同じようにこれを煎じて飲んでいる。これは今年から始めたので効果のほどは分からないが、書によると高血圧症や動脈硬化の予防、体のむくみや便秘、腎炎、鼻炎を良くすると書いてある。ドクダミの語源は「毒痛み」で、毒を抑制する効果からきた名前のようだ。

「ニラ」には胃腸が冷えた時に温めて調子を整える効果がある。胃腸だけでなく内臓全体の調子を整える作用があり、強壮作用がある健康野菜である。ニラの食べ方はわたしがやっているのはニラ入りの卵焼き(オムレツ)やレバニラ炒めである。これは調理を伴って手間がかかるので、いつもは、ニラを細かく刻み味噌汁や大根おろしなどの薬味として利用している。

わたしは薬草を薬を飲んでいると言うよりも日常の食品や飲料として楽しみながら、おまけとして何らかの良い効果があれば儲けものという軽い気持ちである。

♪竹のように生きてみたいな次の世は

(赤タイ)

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セント・アンドリュース オールドコース

虫めがね vol.50 No.6 (2024)

今年のAIG(全英)女子オープンは八月二二日から二五日の四日間、スコットランドのセント・アンドリュース オールドコース(以下S.A.オールドコースと呼ぶ)で開催された。ニュージーランドのリディア・コが優勝した。日本からは一九名の女子選手が参加し、岩井明愛と西郷真央が同点で七位に入った。

S.A.オールドコースは四七〇年以上の歴史を持ち、ゴルフ発祥の地として知られている。「ゴルフの聖地」とも呼ばれており、世界中のゴルフ場がここのコースを原型として作られている。このコースは、強い風、蛸壺バンカー、それに深いラフで有名である。世界のどこのゴルフ場のバンカーにも砂が入れてあるのは、この辺りは海岸に近いので穴を掘ると下はどこも砂地であったためである。

三六年前の夏にわたしはこのコースでプレーしたことがある。その頃はわたしもまだ球の飛距離は出ていたので一七番ホールのホテルの屋根越えのティショットは無事に越えた。中島常幸プロが捕まってギブアップしたと聞く蛸壺バンカーにわたしも入れてしまった。中島プロはバンカーは打ち出したものの、その球が飛び過ぎて反対側のバンカーに入ってしまい、結局九打も叩きギブアップしたとキャデイに聞いた。わたしはこの蛸壺は運よく脱出できた。

一八ホール中一四ホールはアウトとインが共用の巨大なダブルグリーンになっている。同じグリーンにアウト用の白旗、イン用の赤旗の二本が立っているわけである。慣れていない人は迷うので現地のキャデイをつけるように指示された。ゴルフカートは無く、全員がゴルフバッグは自分で担ぐか、キャデイを使うことになっている。

日本のゴルフコースのほとんどはアウトコースとインコースとがあってもその両方ともゲストハウスに戻ってくる。なぜアウトとインと呼ぶのか分からなかった。S.A.オールドコースのアウトコースはゲストハウスから一方的に遠ざかる。インコースになって今度はゲストハウスに戻ってくる。これでアウト(往路)とイン(復路)の意味が理解できた。

ゴルフで分からないのはアウトが九ホールでインが九ホール、合計一八ホールである。なぜ、一〇ホール、一〇ホールの合計二〇ホールにしなかったのかである。わたしは現地でプレーしている時にスコットランド人に尋ねたことがある。彼の答えは、「スコットランドは寒いのでスコッチウイスキーを小ボトルに入れて持って行き、一ホール終わるごとにキャップ一杯のウイスキーを飲んで温まる。ちょうど一八ホール終わった時にウイスキーは空になる」ということであった。この説明の真偽は不明だが、スコットランドのゴルフ場の売店ではちょうどキャップ一八杯で飲み干せると思えるウイスキー用のしゃれた小ボトルが売られていた。

♪新緑や空に吸い込むゴルフ球

(赤タイ)

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漢方(薬草)の楽しみ

虫めがね vol.50 No.5 (2024)

若い頃は大して気にも留めなかったが、年齢とともに薬草(漢方)に興味を持つようになった。


まず最初は「玄米食」である。わが家は十年ほど前から玄米食を食べている。きっかけはわたしがある友人と話している時に、彼は玄米食を三十年以上続けている。
おかげで風邪を引くことも少なくなったし、健康な生活を送っている。彼の話では余命二‐三年と医者に宣告された癌患者が玄米食に変えたところ十年も生き延びたと言うような話を聞いて興味を覚えたのである。
今後わが家は玄米食にしたいと女房に言うと反対するかと思いきや、すんなり「いいよ」と応じてきた。それ以来わが家は玄米食となっている。
当初、玄米食を一か月ほど続けたが、さすがに白米食に比べて美味しくない。それで玄米/白米(50/50)の混合食に変更した。これだと抵抗なく今に続いている。
玄米は内臓を強くし、血行を良くするので体質を改善し、冷え症や風邪をよく引く人などにも有効なようだ。古くは、玄米を常食としていた禅僧は肉類を食べなくとも長寿を保った。

次は「ハトムギ茶」である。わたしは夏になると麦茶を冷やして飲んでいたが、これを五年ほど前にハトムギ茶に変えた。
ハトムギ茶は食品スーパーでも売っているのでこれを買ってきてハトムギ茶を作りペットボトルに詰めて冷蔵庫に冷やして適宜のんでいる。
ハトムギの効能を本で調べてみると「肺の働きを活発にし、体の中の余分な水分を取り除く利尿作用に優れている」とある。
肥満、膀胱炎、喘息、むくみなどに効果があるそうだ。

「シソ」は数年前にわが家の庭に植えたものが夏の終わりには種子を落として枯れる。翌年の春にはそれが発芽してまた大きく育ってくるので毎年それを利用している。
シソの葉を刻んで冷奴、そうめんや刺身、焼き魚、てんぷらなどのつまにして食べている。シソは魚やカニの毒を中和する働きがあるそうである。
料理店で刺身を注文するとシソの葉が一緒に出てくるのは理に適っているわけである。シソは胃や大・小腸の働きを良くし、冷えによる腹痛や下痢を治すと書いてある。

シソにはアブラムシやハダニなどの害虫がつきやすい。わが家のシソは殺虫剤などの対策は何も取っていないのでこれらの害虫にやられてあちこちに虫に食われた穴が開いている。
虫食い穴があっても食べるのには困らないのでそのまま水で洗って食べている。

戦国の武将で征夷大将軍の徳川家康は享年が七十五歳という当時としては珍しい長寿であった。彼は漢方に興味を持ち、関係の書を読み漁り自ら薬の調合まで行っていたそうである。

このテーマの話は次回に続く。

♪雑穀も醗酵を経て銘酒なる

(赤タイ)

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グラウンド・ゴルフの楽しみ(その2)

虫めがね vol.50 No.3 (2024)

二年前のこのコラムでわたしはグラウンド・ゴルフを始めたことを書いた。あれから二年経ち、やっているうちに楽しさが分かってきたのでここでその続編を書くことにする。

わたしが属している地元のグラウンド・ゴルフのグループは会員数が約六〇名で、その内女性は約半分である。夫婦で参加している人も多い。わが妻も参加している。会員は高齢者が多く、グループの平均年齢はおそらく八〇歳に近いのではなかろうか。毎週月・木曜日の午前中にプレーしているが通常の参加者は四〇名くらいである。

ゴルフの場合はハンディキャップというのがあって下級者でも上位に入るチャンスがあるように調整してあるが、グラウンド・ゴルフにはハンディキャップと言うものはない。なくとも、上級者が常に優勝するとは限らないところが面白い。

わたしのグループは近くの運動公園を利用してプレーしているが、この運動公園は少年野球チームも利用している。従って、雨上がりで地面が緩い日なんかは少年野球の靴の跡があちこちに残っており、そんな状態でプレーすることになる。また、夏になるとあちこちに雑草が生えていることが多い。ゲームがある日は、朝早めに行って皆で協力して、グラウンドの小石や雑草を取り除き、靴の足跡などを均すようにしているが、それでも限界がある。

運動公園を使っているわたしのグループの特殊性かもしれないが、ボールを真っ直ぐに打って、まさにボールがホールポストに入ろうとしている直前に小石に当って外れてしまい残念に思うことが多々ある。その逆に、ボールがラインを逸れて「ああー、だめだ」と諦めていたら、途中で小さな雑草に弾かれて進路が変わり入ることもある。「ラッキー!」と思うのはこんな時である。

年に二回ほどバスを貸し切って皆で遠くのグラウンド・ゴルフ専用のコースに出かけてプレーを楽しむこともある。これは一日掛けて遠出するので、皆でおしゃべりをしながら昼食の弁当を食べる楽しみもある。

市のグラウンド・ゴルフ協会主催の大会も年に五回ある。市内には二〇くらいグラウンド・ゴルフのグループがあり、それらが参加するので大会の参加者は一七〇名くらいの大勢になる。これは市長賞やスポーツ協会賞などがでる盛大な大会である。今年の二月に行われた春の大会でわたしは参加者百六十一名中五位に入賞した。もちろんわたしのグループからの参加者の中ではトップである。グラウンド・ゴルフを始めてまだ二年だが、諸先輩を押しのけて五位に入るとはツキがあるというか、マグレが時々起るのがグラウンド・ゴルフの面白いところである。

♪いつの間にゴルフ仲間も高齢会

(赤タイ)

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阪神・淡路大地震を思い出す(続編)

虫めがね vol.50 No.3 (2024)

阪神・淡路大地震の時は、わが家は家屋が倒れるほどではなかったが、かなり揺れた。敷居が歪んで、玄関の扉や居間の障子や襖が開閉出来なくなった。家の周囲の地面にはあちこちに大きな亀裂が出来てポッカリと口を開けている。地震の揺れは地下を帯状に走っている様子で、わが家は食器棚が倒れるほどの大きな揺れは無かったが、わが家から道一つ挟んだお向かいの筋では食器棚が倒れて、中にあった食器類はすべて落下して大きな被害を受けた家が多い。

目下必要な生活用品を確保しようとスーパーに買いに走ったが、インスタントラーメンやパンや飲料水が入ったペットボトルなどは早々に食品棚から消えていた。トイレットペーパーや乾電池、使い捨てカイロなども売り切れていた。誰もが必需品なので買い込んでいくのであろう。わたしの出だしは遅かったようだ。

阪神沿線に住んでいて大阪に勤務する人たちの通勤スタイルが変わったのが印象的であった。従来は背広に通勤かばんを提げて通勤していたビジネスマン達が、この時にはほとんどの人達が背広姿に大きなリュックサックを背にして通勤している。仕事が終わって帰る時に、大阪のスーパーなどに寄って食料や生活必需品を買ってリュックに入れて家に持ち帰る為である。夕方になると神戸方面へ向かう電車の中は帰宅を急ぐこのスタイルの人達で一杯になった。このリュック通勤のスタイルは一年くらい続いたであろうか。

私が住んでいる周辺では幸いにして地震による人身傷害は無かったが、記録によると神戸市や淡路島を中心に、六四〇〇名を超える人びとが亡くなっている。私の友人の神戸大学の学生だったご子息や神戸にお住いの会社の先輩が倒壊した家屋の下敷きになって亡くなられたなどの悲しい報は少なからずある。ご家族の方に何と言葉をかけたら良いのか困ったのを覚えている。

阪神高速道路の神戸線の橋脚が折れて六〇〇mくらいが倒壊したことは、当時、新聞などで報道されたので、皆さんもご存知だと思う。私の会社の同僚がオートバイに乗ってこの高速道路を走って出勤する途上で揺れに遭った。彼は揺れに気付いて早めに高速道路から降りたので助かったが対応が遅れていれば、高速道路の落橋に巻き込まれて大事故になる所であった。九死に一生を得たわけである。

百年あまり前の関東大震災の例もあり、これまでは関東は地震があるが、関西は地震はない、安全な地と思っていた。用務で東京に出張した時などは関西に戻ってきたら、ほっとしていた。でも、今では日本列島どこに居ても地震はあると思っている。

♪苦節超え 今陽風に舵を切る

(赤タイ)

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阪神・淡路大地震を思い出す

虫めがね vol.50 No.2 (2024)

ことしの新年は元日の午後四時一〇分、石川県能登地方を中心としたM7・6の大地震で始まった。今も多数の家屋が倒壊したままで、多くの人々が避難生活をされている。倒壊した建物の下敷きになり、多くの人が亡くなった。新年早々に胸が痛むニュースが飛び込んできた。

今もまだ続いている救助活動や復旧作業の状況をテレビや新聞で見ていると、今から二九年前に起きたM7・3の阪神・淡路大地震のことが頭に浮かんでくる。わが家は震源地から離れてはいたが兵庫県に住んでいるのでそれなりの被害を受けた。

地震は一九九五年一月一七日の早朝五時四六分に起きた。当日は、今まで経験したことがない「ゴー!」という鈍い音と激しい揺れで目が覚めた。国鉄も私鉄も止まってしまったので、自分で自家用車を運転して勤務地の宝塚市にある研究所に向かった。途中、道路のあちこちで亀裂が入り、水道水があふれ出ていた。これらの道を避けながら迂回して、なんとか研究所に辿り着いた。研究所で私が日頃使っている居室に行くと、わが机の上に大きなエアコンがドスンと座っていた。天井に取付けてあったエアコンがこの地震で落下してきたようである。もし勤務中で私がこの机についていたら、おそらく私は即死であったろう。

私の机の横には高さ約五〇cmの陶器製の観音菩薩像が置いてあった。この像は数年前に中国から研究所に来訪された人からお土産にいただいたものである。この観音像も落下して首が折れ、破損して床に転がっていた。私はこれらの破片を回収して、接着剤をつかって出来るだけ復元した。これをわが家に持ち帰り、今でも毎朝手を合わせている。地震による傷害を私に代わって引き受けてくれた「身代り観音」である。

生活で困ったことはやはり水道、ガス、電気が止まったことである。水道が止まれば食事の支度や、水洗便所も使えない。水道は数日で復帰したので、カセットコンロを買ってきて食事などの準備はできるようになった。電気も比較的早く、一週間くらいで使えるようになった。一番困ったのがガスである。ガス管があちこちで破損しているので復旧の目処が立たない。ガスがないとお風呂に入れない。食事などはカセットコンロで代用可能だが、お風呂はそうはいかない。カセットコンロでお湯を沸かして体を拭いていたが、それも四、五日すると何としてもお風呂に入りたくなった。遠くに住んでいる友人宅まで家族を連れて車で行って、お風呂を借りたこともあった。ある時は近くのゴルフ場が施設の風呂を無料で開放してくれたので、入浴に行ったことがある。行って見ると大勢の人が来ていて、戸外に順番待ちの行列を作っていた。

話しはまだまだ尽きない。この続きは次回に。

♪息災を願う今年の雑煮箸

(赤タイ)

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カラスは黄やオレンジ色が好き

虫めがね vol.50 No.1 (2024)

わたしは鳥類の生態について詳しい知識を持っているわけではない。それで、これから述べることは専門家から見ると間違っている内容があるかもしれないが、わたしが実際に体験し目撃した事である。

わが家の庭に一本の柿の木がある。毎年秋になると果実がみのり黄褐色に熟す。この柿の実が青いうちはカラスは寄ってこないが、熟して黄褐色になる頃からカラスはやって来て実を突っついている。これはヒヨドリやメジロなどの他の鳥類も同じで甘い柿を狙って食べにやって来る。これは美味しい食べ物に与ろうという自然な行為であろう。

わたしはゴルフが趣味で、月に数回はコースに出てプレーしている。数年前の事であるが、わたしの友人がドライバーでティショットをした。この球があいにく前方のバンカーの中に転がり込んだ。するとまるでその球が転がって来るのを待っていたかのようにカラスが舞い降りてきてそのゴルフボールを銜えるとそのままどこかに飛び去ってしまった。われわれの目前で起きたことであれよあれよと言う合間であった。この友人が打ったボールは鮮やかな黄色のボールであった。この時、わたしは白ボールを打っていたのでこんな被害には遇わずに済んだ。ゴルフのルールではこの場合、ペナルティ無しでカラスが持って行く前に在った位置に別のボールをリプレースするとの決まりがある。それにしてもカラスは持ち去ったボールを何に使うのであろうか。自分の巣に持ち込んで卵のように温めるわけでもなかろう。もしそうなら卵の色に近い白ボールを選ぶだろう。

わが家のベランダに一足のオレンジ色のサンダルが置いてあった。このサンダルがいつの間にか両足とも紛失してしまった。わが家の庭先まで入って来てたいして高級でもないサンダルを盗む人などが居るとも思えないので不思議に思っていた。ところが間もなく片方のサンダルが庭木の陰に落ちているのを見つけた。他方が無いなと思っていたら、それから数日後に家の庇の上にあるのが見つかった。このような所にサンダルを運ぶのはカラス以外には考えられない。ツバメやスズメにはサンダルは重すぎて運べまい。それにしても何が面白くてサンダルを持っていくのか想像もつかない。黄褐色の柿を突っつくのは食べてみようと考えているのだろう。ゴルフボールを持って行ったのは自分の卵に似ているので持って行ったとも考えることが出来る。ではオレンジ色のサンダルは何を思って持って行くのだろう。最近、都会に棲息するカラスは針金のハンガーを持って行って巣作りの材料にしている例があるらしいが、サンダルでは巣作りの材料には不向きであろう。全く不可解な行動であり、カラスに尋ねるしかなかろう。

♪風の音 鳥の声とのシンフォニー

(赤タイ)

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