木材保存誌コラム

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ことしの猛暑と生物の活動

虫めがね vol.44 No.6 (2018)

のど元過ぎれば熱さを忘れると言うが、忘れないうちに今年の猛暑について述べてみたい。今年(平成三〇年)の夏は記録的な猛暑であった。酷暑という言葉まで生まれた。日中の外気温が三七~三九℃と、人の体温を上回るような気温が連日続いた。埼玉県熊谷市では気象台観測史上最高の四一・一℃を記録した。この猛暑は特に高齢者などの体力的弱者に大きく負荷がかかる。新聞の報道によると、近年は、熱中症による死者は、年に六百人余りを推移しているが、今年の最盛期には全国で一週間に二千人近い人が熱中症の疑いで救急車により病院に搬送され、熱中症による死者が一週間に四〇~七〇人を記録した。

八月下旬には岐阜市のある病院で八〇歳代の高齢の入院患者が熱中症の疑いで五人も亡くなったと言う悲惨な事件もあった。このわたしも、体がだるい、歩くと足がふらつく、虚脱感などを感じて医者に相談したら熱中症と診断されて、点滴を受けた。

また、暑さ続きで体調を崩す乳牛が増え、乳の出が悪くなったり、亡くなった牛も出たようだ。それで八月の終わり頃から牛乳の生産量が大きく落ち込んだ。当然ながら今年の猛暑は牛たちにも冷房が必要なほど、厳しい暑さであったわけである。

この猛暑にも拘らず、今年の全国高校野球大会は第百回という記念すべき年であったが、甲子園球場で十六日間にわたって熱戦をくり広げた。この猛暑と炎天下の中、グラウンドで戦っている選手たちもすごいが、応援席で熱心に応援している大勢の高校生たちを見ていると、若者たちのすごいパワーを感じた。

蚊取線香や液体蚊取りなどの蚊用殺虫剤は、夏の間の数ケ月に集中して消費が伸びる。従来から殺虫剤メーカーの間では、暑い夏が長引くと、その日数に比例して蚊用殺虫剤の売り上げが伸びると言われていた。通常より夏が早く終わり涼しくなった年などは、殺虫剤メーカーで働く人たちは、売り上げが減ってボーナスに影響すると心配していた。今年は猛暑続きでさぞや蚊用殺虫剤の売り上げが記録的に伸びただろうと期待されたが、予想に反して例年より売り上げが落ちたそうである。その原因についていくつかの要因が考えられている。日本で一般的なアカイエカは気温が二二~二七℃で最も繁殖し、活動も活発であるが、三二℃を超えると著しく活動が低下するという研究報告がある。今年の猛暑は蚊にとっても耐えられず、涼しい所に身を潜めていたらしい。

♪雲さえも溶かしてしまうこの猛暑

(赤タイ)

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川柳と俳句

虫めがね vol.44 No.5 (2018)

数年前から近くのカルチャーセンターの川柳教室に通っている。そのことを友人に話すと、俳句と川柳はどう違うのですかと質問がくる。俳句は自然を題材に詠む、いわば「風景画」です。季語もあれば切字もある。川柳は五・七・五で詠むのは同じですが、季語はなく自分という人間を素材に詠む、いわば「人物画(自画像)」ですと説明する。すると次に、あなたの代表作を紹介してくださいと言われる。この場合、その友人は「あはは」と笑う川柳を期待していることが多い。いわゆる、ユーモア川柳である。新聞などに出てくる川柳にはそういうものが多いせいであろう。わたしが学んでいるのは「現代川柳」と呼ばれ、ユーモア性は少ない。それで、友人に代表作を紹介しても、期待に添えないことが多い。

日本では俳句人口が多く、川柳は少数派である。わたしが通っているカルチャーセンターでも、俳句の教室が五つもあるが、川柳教室は一つだけで、受講者も少人数である。また、新聞の文芸欄を見てもほとんどの新聞が俳句を取り上げているが、川柳は少なく、ほとんど取り上げない新聞もある。

では、何故、わたしが俳句をやらずに川柳を学ぶ気になったかというと、風景画の俳句よりも、人間の生き方や心象を詠む川柳のほうが、人間味があって、興味があったからである。

最近は俳句ブームと言われている。その火付け役は、TBS系列テレビの「プレバト‼」というバラエティー番組である。毎週いろいろな芸能人たちが作った俳句を講師の夏井いつき先生が「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」の三段階にランク分けする。出演の芸能人との歯に衣着せぬ辛口のやり取りや、芸能人の俳句を的確に解釈し、そして添削して見違えるような作品に仕立て直す、その鮮やかさに、俳句のファンでなくても面白くて、視聴率が高い人気番組となっている。わたしは、川柳をやっているが、いろいろと共通点も多く、勉強にもなるので、毎週見ている。

無くても分かる言葉をぎりぎりまで削って、五・七・五に仕立てる。句の内容には誰でもが考え付くようなものはダメで、「オリジナリティ」が大切である。また、その句を読むことによって中身が映像として浮かび挙がることが大切であるなど、夏井講師が言われることは、川柳にも通じるのである。

わたしのこのエッセー「虫めがね」を読んでおられる方は、すでに気づかれた方もあると思うが、本誌の四十一巻四号から、恥ずかしながら、わたしの川柳を最後尾に付け加えることにしている。

♪進化したサルに苦労も心配も

(赤タイ)

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お爺ちゃん、お婆ちゃんは孫の世話がうれしい

虫めがね vol.44 No.4 (2018)

先のこのコラムで、お爺ちゃん、お婆ちゃんたちは孫が可愛い、かわいくて世話がうれしいということを書いた。これは人類(ホモ・サピエンス)が地球上に現れて約二十万年の歴史の中で、DNAに記録された遺伝情報であると言った。この遺伝子に支配されているお爺ちゃん、お婆ちゃんは、孫の世話がしたいのに近くには孫たちはいない。現代では、わが国の多くの若い世代は住み慣れた田舎から都会に出て仕事をしている。親たちとは離れて、別に家族を作って生活している。いわゆる核家族である。しかたなく、お爺ちゃん、お婆ちゃんは時々送られてくる孫たちの写真を見たり、孫の誕生日や七・五・三のお祝いや孫の運動会などの時に、はるばる孫に会いに行くことになる。

都会に出て働きながら子どもたちを育てている若い世代は、昼間は働きに出て、夕方、家に帰ると子どもたちの世話をする。当然のことながら、若い世代にとっては子どもを育てるということは初めての経験であり、どうして良いのか判らないことや、いろいろと心配なことが多くて、戸惑うことも多いだろう。子育て経験者のお爺ちゃん、お婆ちゃんに相談しようにも近くには居ない。かくして、若いお母さん方は、子どもの養育に悩むことになる。昼間の仕事に疲れて、家での養育に疲れてストレスになり、体調をくずすことになる。このストレスが外に向かい、幼児虐待、育児放棄などが時どき新聞の社会面に出てくる。筆者の子ども時代に比べると、その様なニュースが多い気がする。「赤ちゃんポスト」などという不思議な仕組みが熊本のある病院に設置されたとテレビで見たことがある。そして、このポストで救われた赤ちゃんが予想外に多いと言うことも知った。

若い世代が昼間働いている間、子どもたちを預かってくれる保育所・託児施設は慢性的に不足している。子どもを預かってくれる所を探している数万人の待機児童があるという。働く意思と能力があるのに、子どもを預かってくれる所が少ないので働けないお母さんがかなりある。一方で孫たちの世話が楽しいお爺ちゃん、お婆ちゃん世代があり、他方で、慣れない子育てに悩み、ストレスを感じ、援助を求めているお父さん、お母さんの若い世代がある。需要と供給はあるのに、両者をうまく結びつける仕組みがない。これをうまく結びつける社会システムは出来ないものだろうか。

♪孫走る爺も応援汗みどろ♪

(赤タイ)

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保育士とふつうの母親

虫めがね vol.44 No.2 (2018)

筆者が勤務していた大学で保育士の資格を取り、卒業後、保育士として活躍している教え子が、久しぶりに子どもを連れて学校にやって来た。「先生、私の子どもです。一歳半になりました」

学校の廊下を活発に走り回る元気な男児である。こまめにその子の世話をしている様子を見て、話しかけた。「あなたは保育士なので、子育ては専門家ですね」「わたしも、最初はそう思っていました。しかし、いざわが子を育ててみると全然違います」

この時は、自分の子だと細々とした世話が沢山あって大変なんだろうというくらいにしか考えなかった。どう違うのかまでは深くは考えなかった。

その後、五年前に卒業した学生たちのクラス会に出席した。そのクラスの三割くらいは結婚していた。二人の女の子を育てていると言う卒業生に尋ねた。「保育士として四年間もやったのなら、もう子育てはベテランだね」

保育園で預かっている子ども達には"太郎ちゃん、そんなことをしてはダメですよ。みんなが困っているでしょう"、"洋子ちゃん、遊んだ後はちゃんと片づけようね"と保育士として冷静に言葉かけができます。すると、子ども達は、「ハーイ」と素直に従う。

ところが、それが自分の子となると、"私の子はこんなではない!""こんな子になって欲しくない!"と冷静さを失い、カッとなって、つい感情的に叱ってしまう。「後悔することが多いんです」と苦笑いの返事が返ってきた。つまり預かった人さまの子だと保育士として接することが出来るが、自分の子となると、そこでは普通の母親になってしまうということである。筆者も二人の子を持つ親であり、この気持ちは良く理解できる。

これに関連して思い出すことがある。父親は名のある教育者であり、母親も立派な高校の教師である。立派な教育者のご両親に育てられた筈なのに、その息子が凶悪事件を起こして警察に逮捕されたというような事件を時々新聞で見かける。

職業として子ども達を教育することと、家庭内で父、母として自分の子どもを教育することは、かなり異なることなんだろう。社会的に立派な教育者を両親に持った子どもにとっては、憩いの場である家庭がきびしく、窮屈なものかもしれない。その環境から逃げ出そうと反抗して不良化に走ることもありうることであろう。子どもを伸び伸びと育てることはつくづく難しいものである。♪孫の絵がひときわ光る参観日

(赤タイ)

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「神宿る島」宗像・沖ノ島(その2)

虫めがね vol.44 No.1 (2018)

わたしは、今は宗像に住んではいないが、子どもの頃の思い出を述べてみたい。

毎年十月一、二、三日は宗像大社で放生会と言うのが行われていた。これは、捕獲した鳥獣や魚を放し、殺生を戒める儀式である。また、秋の五穀豊穣に感謝する収穫祭の意味もある。当時、子どもであったわたしはそんなことは知る由もない。小学校がこの三日間休校になるのを喜び、毎日、宗像大社辺津宮に通った。辺津宮がある田島の地名を冠して「田島ほうじょい」と呼んでいた。この期間、大社の境内には、綿菓子屋、飴玉・水飴などの駄菓子屋、それに収穫されたばかりの柿、みかん、栗等の露店がいっぱい立ち並ぶ。更には、ヘビ使い、ガマの油売り、オートバイの曲芸、お化け屋敷などの見世物小屋が、大社の境内一杯集まっていた。それらを見るのが楽しみで三日間毎日通った。

昨年、映画化された百田尚樹の「海賊とよばれた男」の主人公は宗像出身で出光興産の創業者である出光佐三氏をモデルにしている。出光氏は、社員はみんな同じ家族の構成員(大家族主義)の考えのもとに、出勤簿なし、定年なし、労働組合なし(今はあるのかもしれない)という特異な経営で、出光興産を日本有数の石油会社に育てあげた。その出光氏は宗像大社の熱心な崇拝者で、東京の出光興産本社屋上には宗像大社が祀ってあると聞いている。大戦後、宗像大社の荒廃を大変残念に思い、その復興につくし、神宝館の創設などに私財を投じて尽力された。この神宝館には、沖ノ島などで見つかった国宝が多数収納されている。

沖ノ島は玄界灘に浮かぶ孤島である。古来、遣隋・遣唐使船をはじめ無数の船が、ここを経由して朝鮮半島や大陸を目指して出発した。これらは当時の技術では、命がけの航海であった。危険な航海に先立ち、沖ノ島に上陸し、沖津宮に参拝し、高価な物品を奉納し、航海の安全を祈願して旅立って行った。また、使命を終え、無事帰国した暁には、沖ノ島に立ち寄り、無事航海を終えたことのお礼の品を奉納した。これらの奉献品には、金製指輪、金銅製龍頭、唐三彩など、国宝に指定された品が八万点余り。これらが、神宝館に収納されている。「海の正倉院」と称される由縁である。

古来から、航海の安全の守り神として敬われていたが、今でも「交通安全」の大社として、崇敬されている。新車を買うと必ず車と一緒に宗像大社に参り、お祓いをしてもらい、「交通安全」のお守り札をいただき、車のフロントガラスに貼りつけた。

♪沖津宮の守り頼りに灘越える♪

(赤タイ)

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