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パナマ運河開通と総合防除

虫めがね vol.47 No.6 (2021)

害虫防除に係わる人たちにとって、今では常識である総合防除(IPM)の考え方は今から五五年ほど前に農業分野で始まった。当時はDDTやBHCなどの有効な合成殺虫剤が開発され、それらを多用・過剰に使用した結果、害虫の殺虫剤抵抗性発現やチョウ、トンボ、ホタルなどの有用昆虫の減少、そして昆虫類を捕食して生きている小鳥の減少などの環境破壊を起こしたことへの反省に基づいて出された考え方である。

その考え方の骨子は害虫の発生源除去、侵入防止、環境整備などの「生態的防除」を基本とし、それに網戸、蚊帳、捕虫器、誘殺器などの「物理的防除」や天敵などの使用による「生物的防除」を最適に組合せて防除し、殺虫剤による「化学的防除」は必要最小限に抑えるというものである。

ところがIPMの考え方が提唱される六〇年も前に蚊の総合防除を実行した男が居る。米国陸軍軍医W・ゴーガスです。大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河は一八八〇年に仏人レセップスにより掘削が開始された。ところが工事開始後約一ヶ月で一〇三九人もの労働者が黄熱にかかって死亡した。七年後には、工事関係者の約二万五千人が黄熱とマラリアで亡くなった。彼が工事指揮者としてヨーロッパから連れて来た約五百人の技術者の大半が黄熱とマラリアで死亡するか、重症で本国へ送還され、工事続行が不可能となった。レセップスはやむなくパナマ運河建設計画を放棄した。

一八九八年 米国は米西戦争に勝利し、キューバの統治権をスペインから得た。米国はキューバの権益を守る為に太平洋の軍艦をカリブ海に向かわせる軍事戦略上の必要があった。一九〇三年、米国は国家プロジェクトとしてパナマ運河の再起工を開始した。少し前に英人R・ロスは蚊がマラリアを媒介すること、米人W・リードは蚊が黄熱を媒介することを明らかにしていた。それでルーズベルト大統領の指示のもと、ゴーガスは約四千人の衛生部隊を編成し、徹底した防蚊対策を実施した。当時はDDTなどの合成殺虫剤は誕生しておらず、使える殺虫剤は天然ピレトリンがあったが、まだ生産量が限られていた。それで、ゴーガスが実施した防蚊対策は、①運河ルート沿いの水溜りを全部乾しあげる発生源除去、②草むらを焼却する環境整備、③沼地には鉱油を流し込む幼虫対策、④工事関係者の家屋に網戸を普及する物理的防除などを大々的に実行した。そして、一九一四年八月、米国はパナマ運河を開通した。

ゴーガスは当時は陸軍少佐だったが、この防蚊対策などの功績により最後には陸軍軍医総監にまで出世した。

この米国のパナマ運河建設工事には当時二六歳の日本人技術者 青山士(あおやまあきら)が参加し、活躍したという逸話がある。

♪IOC I OWE CASHの意味なのか

(赤タイ)

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