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長崎出島と鎖国政策

虫めがね vol.47 No.1 (2021)

学会で長崎に行ったついでに国指定史跡「出島」を見学に行った。当時は島であったのだろうが、今は埋め立てられて陸続きとなっている。路面電車で、「出島」という電停で降りるとすぐに出島和蘭商館跡入口が見えてくる。

徳川幕府は鎖国政策を採り、日本人の海外渡航を禁じ、海外からの帰国者は死刑にした。それと同時に外国船の来航も制限した。しかし外国船がもたらす生糸、絹織物、ラシャ、象牙、砂糖、ガラス製品、胡椒など、珍しい物品は幕府としても手に入れたかった。それで、一六三四年に長崎に人工島「出島」を築き、外国船は、この出島に限って来航を認めた。初めはポルトガル人が出島に居住したが、一六三七―三八年に島原の乱が起った。これは島原藩の過重な年貢やキリシタン弾圧に反抗した農民たち信徒が、天草四郎時貞を首領として島原の原城に籠って起こした大規模な一揆である。幕府はこれの鎮圧に手こずった。

島原の乱でキリスト教に危機を感じた幕府は、一六三九年にキリスト教を布教しているボルトガル人を出島から追放した。ポルトガル人を通してビジネスをしていた出島町人は困った。出島築造の費用はこれらの町人たちが出資していたのだ。それで宗教活動が制限されても貿易は行うオランダ人が一六四一年以降は出島に住むことになった。これから約二百年間はオランダ人が居住することになる。

通常は出島にはオランダ人の商館長、倉庫長、書記役、商館医、料理人、召使いなどが約十五人、その他に、長崎奉行所の役人(四人)と日本人の遊女数名が居住した。季節風を利用して、毎年七~八月頃、二隻のオランダ船がやって来て四ヶ月くらい滞在する。船長を除き一般乗組員は出島に宿泊場所は無く船内に宿泊する。明治になってわが国が開国した後は、出島は埋め立てられ住宅や商店などが建ち、往時の姿は無くなっている。現在、少しずつ計画的に復元が進められている。

鎖国政策と聞くと、日本人を鎖で国内に縛り付けて、自由がないような負のイメージが強いが、良い点もいろいろある。能、狂言、浮世絵、日本刀、日本酒、日本料理など、海外の影響を受けずに、日本独自の文化が発達した。また、外来感染症の侵入も出島という水際で止められた。歴史上、中国、ヨーロッパなどで何度も大流行(パンデミック)したペスト(黒死病)が日本に流入したのは日本が開国した明治になってからである。今年(令和二年)になって日本中に大流行している中国武漢発の新型コロナも、当時であれば、日本中に広まることはなかったろう。

♪近頃はコロナ理由に義理を欠く

(赤タイ)

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