木材保存誌コラム

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木材保存誌コラム

最近読んだすごい論文

みちくさ vol.49 No.2 (2023)

最近、学会誌に発表される、いわゆる学術論文の類を興味深く見ることが減ってきた。それは、もちろん、筆者自身の興味と異なった内容のものが多くなってきたことが第一の原因であろう。しかし、仮に興味の方向性が一致していたとしても、重箱の隅をつついたような、とにかく「新規性」のみを強調したような感を受けるもの、あるいは引用文献にしても著者自身や近い周辺のもののみを選択しているのではないかと思われるような論文が目立つのもその理由の一つである。

学協会での口頭、あるいはポスター発表の場合でも同様である。とくに前者の場合、聴衆は「身内」のことが比較的多く、したがって普段参加しているセッションと異なったところに参加すると、若干のアウェイ感を感じることもある。

とはいえ、調べ物を始めると、少し古いものを含めた関連文献を探す必要が出てくる。先日も「耐久性」関連の論文を検索したところ、木材学会誌のオンライン版掲載の最新号に「林業試験場素材耐久性試験結果の再評価」があるのを発見し、驚いた。

この抄録には、「おおよそ半世紀前に林業試験場(現:森林総研)が木材の素材耐久性を調べる目的で実施した杭の耐久性試験結果を、最近の手法で再評価した。その結果、耐久性が高いとされているヒノキやヒバよりもコウヤマキの耐久性が高いこと、スギやカラマツの耐久性とヒノキやヒバの耐久性との間に差があるとは言えないこと、心材の耐久性区分D1とD2の樹種の耐久性間に差があるとは言えない例があることなどが明らかになった。」など、とある。

筆者がなぜ驚いたか、というと、「この半世紀前の試験結果がほとんどの木材関連の教科書や規基準で引用されており、本論文の結果、それを書き換える必要が多数出てくるのではないか」ということではあるが、それより「半世紀後の解析手法の進化に耐え得るデータを集積していた」という先人の偉さを見た思いがしたからである。

著者は先人の後輩にあたる桃原郁夫氏ほかの面々で、まず彼らに敬意を表したい。こうした「再評価」は重要なテーマであり、これが必要な分野は他にもいくつかあるのではないかと思う。

(徒然亭)

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五十回目

みちくさ vol.49 No.1 (2023)

筆者は二〇一四年の四月に退職した。そしてその数か月後、この「みちくさ」の連載執筆依頼が届き、有難くお受けした。なぜ私のもとにお鉢が回ってきたのかは不明であるが、以来、八年余、今回が五十回目になってしまった。

ただしこの「みちくさ」は筆者の前にペンネーム「世界の木窓から」さんの執筆によるものが、計十二回掲載されている。その最終回のタイトルは「英語が上手になるには?(6):最終回の回」とあったから、このコーナーを楽しみにしていた方々は残念がっていただろうなと思う。

このコラム欄は執筆者がもう一人おられて「赤タイ」というペンネームを使っておられる。お年は「後期高齢者」だそうだから、間違いなく同世代で、連載は八十五回くらいのはずである。ただし、どなたかはいまだに知らされていないし、たぶんその方がよい。

ところでこの第一回目では「コラム」という言葉にこだわり、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄、罫で囲まれることが多いからコラム(円柱形の柱)と呼ばれることになった」とか、「事象に対してあくまで自分の考えで〈こう思う〉というスタンスで書く人がコラムニストなのだそうだ。」と書いている。

この内容自体、変わりはないのだが、最近のネットに「良質なコラム記事を書けるようになるために」といった記事がいくつかあることを発見した。そしてエッセイやブログは「個人の体験や主観、感想を自由に述べた文章」、共感しやすく読み物として楽しめるものであるのに対し、コラムは「その記事を読むことで、読者が何らかの利益を得る」ことを目指して書く必要があり、正しい情報をもとにした自身の意見を論理的に説明するような書き方が求められるのだそうだ。つまり客観的な事実を述べるだけではなく、ライターの考え方や評論を述べている点であるから、その意見には、しっかりした「根拠」や「論理性」が必要になってくる、と書かれている。

このような「コラムの意味・書き方」を読んでしまうと、この先の原稿執筆が少々不安になってくるが、まぁ、これからも「小生流エッセイ風コラム」で勘弁してもらうしかない。

(徒然亭)

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カーボン・なんとか・6

みちくさ vol.48 No.6 (2022)

前回、「植林によってどのくらいの二酸化炭素が吸収できるか」という問題に触れた。その原稿提出後、森林総合研究所が「ネットゼロエミッション達成のための森林の役割」と題した公開講演会をネットで配信されることを知り、早速聴講を申し込んだ。そしてこの模様を収録した動画のオンデマンド配信(YouTube)とQ&Aの公開が行われている。

講演会ではまず、近畿大学農学部の松本光朗教授の基調講演「カーボンニュートラルに向けて森林・林業・木材産業は何ができるか?」に始まり、次いで「林業の機械化と効率化」「林木育種」「木材、木質材料の利用」「木質バイオマスエネルギー」に関する各課題を研究所内の専門家が話す、というスタイルで進行されていた。興味のある方は配信版をご覧いただきたい。

ここで松本先生はいわゆる「カーボンニュートラル達成」に向けて木材の土木建築への利用の重要性を強調されていたように思う。

これに関してはQ&Aの中でいくつかの討論があって「長い時間で見れば、森林にある材積と伐採して住宅などに木材の形で二酸化炭素を固定されている地球の全炭素量を増やさない限り、地球上の二酸化炭素を減少させることにはならないのではないか。また森林の二酸化炭素吸収は一時的なものではないか。」また、「〈森林の健全な状態〉とはどのような状態を指すのか。ゼロエミッションの観点からすれば、二酸化炭素固定量(森林の材積量)を最大にすることではないか。」といった質問に対して次のような回答をされていた。

「確かに森林の二酸化炭素吸収が一時的なものであるが、だからこそ、この循環をうまくコントロールする必要がある。その固定量(材積量)の最大化ということになれば、高齢林を多く作ることになる。しかし、二酸化炭素吸収にとっても、また森林の多面的機能(国土防災、水源涵養、生物多様性保全等)にとっても、それは必ずしも適切ではなく、適切に伐採・更新をして若い林分も配置し、炭素蓄積量と吸収量をバランス良く高く維持するなど、総合的にみて森林資源管理をする必要がある。」 実に参考になった。一度覗いてみてはいかが。

(徒然亭)

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カーボン・なんとか・5

みちくさ vol.48 No.5 (2022)

次に植林によってどのくらいの二酸化炭素が吸収できるか、という問題である。この件に関しては、林野庁の「森林の地球温暖化防止機能について」といったサイトがあって、丁寧な解説がされている。

まず、木材体積および重量と二酸化炭素量の関係は表に示すとおりである。

次に樹木の年間の体積増加量である。これはまさに千差万別であるので、林野庁では全国の森林の平均的な値を調べることができる「収穫表」から求め、これに枝・葉・根の部分の炭素蓄積量(幹の部分の約五〇%に相当)を加味して樹木全体の増加量を把握し、樹木の重量あたりどれぐらいの炭素を含んでいるのかを出している。そして、前記林野庁HPでは地域や樹種によって異なるが、三六~四〇年生のスギ人工林1ヘクタールの1年間の幹材積増分を約十〇m3、森林全体で1年間に吸収する二酸化炭素の量は約8・8トンと推定している。

ここで問題となるのは樹木伐採後の枝・葉・根の部分である。このままではやがて腐朽して二酸化炭素として大気中に放出されるわけであるから、これを森林吸収量としてカウントするのは、筆者は違和感を持っている。また、樹幹の部分にしても製材歩留まりは五〇%程度であろうし、その主材を用いた建物の寿命がせいぜい七〇年くらいであるとするなら、実質的な吸収量はかなり少ないのでは、と思ってしまうのである。

ただここで引用されている計算法は、森林総研が二〇〇三年頃に行った「森林による炭素吸収量をどのように捉えるか~京都議定書報告に必要な森林吸収量の算定・報告体制の開発~」という研究成果に基づくものであり、現時点でも適用可能かどうか再検討が必要と思っている。

・木材重量の1/2がC
 ⇒木材1kgをつくるのに0.5kgのCが必要
 ⇒0.5×(12+16×2)/12 =1.83、より1.83kgのCO2が必要

・木材の実質密度(全乾密度)
 スギ:約320kg/m3、ヒノキ・カラマツ:約420kg/m3
 ⇒木材密度を400kg/m3とすれば、200kg-C/m3、734kg-CO2/m3

(徒然亭)

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カーボン・なんとか・4

みちくさ vol.48 No.4 (2022)

ちょうど1年前、「カーボン・なんとか」とのタイトルで何回かにわたって、本コーナーに投稿したことがある。ここでは「なんとか」として「ニュートラル」「オフセット」「フットプリント」「プライシング」をとりあげ、これらに加えて発電に伴う二酸化炭素の排出量のことを書いた。今回はいわばその続編である。

まず「カーボンニュートラル」についておさらい。

「この意味が近年では概念化され、二酸化炭素の増減に影響を与えない、あるいはその排出量と吸収量のバランスが優れている状態を表す際にもこの言葉を使うようになってきた。具体的には二酸化炭素排出量削減のための植林や再生可能エネルギーの導入などによる排出量を相殺することもカーボンニュートラルと呼んでいる。とくに、日本政府の政策上でこの言葉が用いられる場合にはこうした意味合いが強い。」ということである。

このような情勢から各企業はまず事業における温室効果ガスの排出量を把握し、その上で削減目標を定め、省エネルギー化に取り組む。それでも削減できない分は、再生可能エネルギーの導入や「排出権の購入」などの手段を利用して、間接的に温室効果ガスを吸収することで埋め合わせる。

こうした取り組みは投資家からの評価を考える上で重要になる。とくに近年は、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)の頭文字をとった「ESG投資」の考え方が主流になりつつある。つまり「カーボンニュートラルへの挑戦は、経済と環境を両立させた新たな経営手法を創造することにもつながる」ということになるわけだ。

電力各社による再生可能エネルギーの導入拡大、自動車メーカー各社による電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)の開発・販売、といったCMでもおなじみの企業のみならず、環境保全プロジェクトへの貢献、海外での自然再生やマングローブ林の保護といったプロジェクトを展開している企業も増えてきているのだそうだ。

でも植林によってどのくらいの二酸化炭素が吸収できるか計算したことがあるのだろうか気になる。

(徒然亭)

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