木材保存誌コラム

ホーム > 木材保存誌コラム > みちくさ

木材保存誌コラム

青年部

みちくさ vol.41 No.4 (2015)

退職したあと、激減したのは会議の数とガソリン消費量。電話とメールは相手が変わったもののほぼ横這い。増えたのは昼間のテレビを見る機会である。

その昼間のテレビ。目立つのはシニア向けの番組で、曰く「終活」「遺産相続」「墓」「介護」「介護保険」「認知症」「年金」などなど。そこに出演するコメンテーターの大半は小生とほぼ同年代で、自分や身の周りの人の経験や何かを語っている。それらのいくつかに思い当たるものがあって、「そろそろ俺も」というわけだ。

先日なぞ、新聞を眺めていると「○○県立大」というタイトルが目に入った。「へぇ」というわけで、その記事の内容を読むとどうもおかしい。改めてタイトルを確認すると、「前立腺肥大」。

共通する字は「立」「大」だけなのだ。これは危ないかもしれないよ。

昨年、高校の同窓会があった。参加者は五十名ほどだった。同期の卒業生の1割が参集した計算になる。

卒業以来、初めての参加だ、という元某警察で白バイ隊の隊長だった友人もいた。彼、高校時代と体形と頭髪はまったく変わっておらず、さすがだと思った。えらい違いである。

「お互い、若いね。元気だね。」ということではあるが、集まってくるのがそうなのであって、そうではない人はそもそも来ない。次回は2年後、古希の年だという。

町内の老人会にも入った。月に何回かボーリングなどのスポーツ系の集まりに加えて、年に数回、「お誕生会」なる行事がある。そこで喜寿くらいになると初めて「おめでとう」となるが、還暦はもちろん、古希くらいでは対象外である。

「古希までまだ少しあります」と自己紹介すると、「ほお、お若い」とくる。たぶん「見かけよりは…」ということなのかもしれないが、いわば老人会の青年部扱いである。

バスや電車に「優先席」というのがある。高齢者はそこに座ってもよろしい、ということなのであろうが、いくつ以上かは不明。

いつぞやは電車内で席を譲られたりしたものだが、しかし、青年部員としては、空いていても優先席に座るわけにはいかぬ。

(徒然亭)

ページトップ

短期記憶

みちくさ vol.41 No.3 (2015)

「先週、××研究会の懇親会のあと、年寄り五人で二次会に行きましてね。何せ平均年齢七〇くらいだから、若い人に一緒に行かないか、って声をかけても、みんな怖がって逃げるんよね。」

「年寄りってどなたたち?」

「えーっと。A先生、B先生、C先生、それと僕。あと一人は……。えーっと、元×大学で××を専門にしていたあの有名な先生…。ほら…。」

「えっ。どなた?」

「あのぅ、少し小柄で、顔の××い、あの有名な先生。」

「あぁ、あの先生?分かる分かる。えーっとなんとおっしゃたっけな、お顔は浮かんでくるんだけども。」

そこで頭の中の人名録を五十音順に繰っていく。

「あっ、X先生。」

「そうそうX先生、X先生。…しかしその面子じゃ、確かに若い人は怖がるわなぁ。」

これ、久しぶりに某先生と一献傾けた、そのときの会話(伏字が多く恐縮)。

思い出せなくなるのは、まず固有名詞、次いで名詞だそうだ。そして動詞、形容詞を思い出せなくなると重症という。 とくに人の名前は画像データとの対比も怪しくなる。

つい先だっても某会で「先生、お久しぶりで…」と声がかかった。そして「その節はお世話になりました」と続き、名刺を頂いた。ただこちらは「どの節」だったか一向に思い出せない。で、話をしながら過去帳(?)を探し、確かに面識はあったことを確認して、まぁ一件落着、と相成る。

物の本によれば記憶は維持される時間によって「超短期記憶:視覚では1秒弱、聴覚では約4秒間保持」「短期記憶:約20秒間保持」「長期記憶」に分類され、短期記憶情報が、何度か繰り返されることで長期記憶として定着していくのだそうだ。

脳の神経細胞は150億個以上、20歳以降1日に10万個以上減少していくとのこと。ならば今どのくらい脳の神経細胞が残っているかと計算してみると130億個ほどになる。かなり減ったと見るべきか、はたまた、まだ十分残っていると見るべきか。

さて、某先生との会話の終盤、「先ほど思い出せなかった先生のお名前、何でしたっけ?」

(徒然亭)

ページトップ

縦書き・横書き

みちくさ vol.41 No.2 (2015)

本会会員も多く入られている木材学会は今年で創立六十周年になる。これを記念した出版物を出すことになり、今、その仕上げの段階に入った。何しろ「一般市民向け」ということなので、専門用語の使い方などに非常に苦慮し、幾度も書き直した。その「修正稿」ができる度に送付するものだから、編集担当の方は、さぞ迷惑に思われたことだったろう。

昨年までは一年に数回、地元ローカル新聞にも寄稿していた。その時も同様であった。原稿執筆が遅れ、提出が締切直前になる。しかもそのあとにも決まって手直しをするのである。編集長からは「毎度のことで、編集部員は慣れとります」と言われた。

手直しをする理由はいくつかある。簡単な「てにをは」や「この言葉、読み手に分かるか」もあるが、「文章体裁上、読みにくくはないか」といった点からの修正も多い。とくに新聞などは縦書きで一行に十三字ほどしかないから、適当に区切らないと一段落がかなりの行数になってしまって、だらだらした感じになる。そこで提出原稿を仕上がりフォーマットに合わせたうえで、これを直すのである。

縦書きで困るのは、英数字の表記法である。原稿は主に横書きであり、英数字は半角にしているのだが、これが印刷されると「L V L」「1982年」、「105mm 」という具合に仕上がる。「LVL」はともかく、数字の方は、やはり「一九八二年」「一〇五ミリメートル」と書いたほうがしっくりくるようにも思うのだ。

ただし数式、化学式、小数点のついた数値、となると縦書きにはどうにもそぐわない。やはり横書きの方が楽だよな、などとも感じていた。

そんなとき、本棚をひょいと見ると、随分以前に買った「分かりやすい日本語の書き方(講談社現代新書)」というのがあった。著者は「文書添削の鬼」の異名をとった大隈秀夫氏。これを再読する。

面白い、というか、実に勉強になる。なかに「言葉の重複は見苦しいので気を配る」「言い換えの語を多く覚える」とある。ふんふん‥。

そして「書き出しの一行で勝負は決まる」ともある。あわてて本文の書き出しを替えた。とたんに表現が重くなった。

(徒然亭)

ページトップ

自然相手

みちくさ vol.41 No.1 (2015)

一昨年末、大雪が全国に降った。とくに普段あまり雪の降らない地域で、山奥の集落が孤立しているとのニュースが随分あった。

これまで北海道、富山、秋田と雪国に長く住んできたので、雪にはそう驚かない。ただ、雪質とその降り方、融け方は地域で随分異なる。同じ秋田県ですら「県南の雪は上から、秋田は横から、能代は下から降る」という表現がよくされるくらいだ。

かつてあった豪雪では「38」「56」というのが有名である。これらの時の気圧配置も今回と同様で、日本海北部からオホーツク海に進んだ低気圧(これを「爆弾低気圧」などと呼んでいる)が発達して停滞し、強い西高東低の冬型気圧配置が長く続いたことによる。

1980年末から翌年3月にかけてのものが56豪雪で、筆者はそれに遭遇した。富山では秋田県南と似て、湿った重い雪が、黙ってシンシンと降る。住まいは市中にあったのだが、朝起きてみると、前日には何もなかった地面に、一晩で1m も積もっており、車がすっぽり埋まっていたのにはさすが驚いた。このときの富山市の最深積雪量は160cm だそうだ。

これを契機に雪と木造住宅を総合した研究調査がいくつか進められ、建築学会大会ではPD(パネルディスカッション)が開催された。富山県では「雪に強い住宅づくり研究調査」が行われ、筆者らも積雪荷重量の評価とクリープによる変形挙動把握のため、小規模木質構造体を設計・製作し、それを積雪荷重下に放置して変形の経時変化を追った。

観測は1983~84年に行った。そのときの屋根上最深積雪は120cm に近く、それなりのデータが得られた。これを建築学会の大会で発表した。

このような研究は皆無だったから「これは行ける」と考え、研究延長の予算を申請した。そして首尾よく承認され、以前よりしっかりした構造物を建て、計測装置も買い込んで、雪を待った。

ところが、である。その年は暖冬、次いで翌年も降らない。屋根雪は30cm くらい。構造物の変形は微々たるものである。

その報告書の作成には非常に困った。新しいデータがほとんどないのであるから、今風に言えば「シミュレーション」とやらで誤魔化したような記憶がある。

その後、自然相手の研究には手を出さなくなった。建てた構造物は試験場の物置に転用された。

ちなみに建築学会でのタイトルは「木質構造体の耐雪設計に関する実験的研究:第一報・積雪荷重下の小規模木質構造体の変形」。ただし「第二報」は、どこを探しても出てこない。

(徒然亭)

ページトップ

猫も博士も

みちくさ vol.40 No.6 (2014)

「猫も杓子も」という言葉がある。なんとも不思議な単語の組み合わせで、随分気になっていたものであった。

落語の「やかん」では何でも知っていると自負する横丁のご隠居がこの言葉の語源を「女子(めご)も赤子(せきし)も」と説明している。これを聞いたとき、妙に納得してしまったのだが、少し調べてみると「禰子(神主)も釈氏(僧侶)も」からきた、などいくつかの説があって、正確な語源はよくわからないらしい。

その「猫も杓子も」気味なのは、最近の木材利用に関する研究である。いわゆる「木材学」を基盤した研究者だけではなく、専門分野も建築・土木・エネルギー・環境から流通・経済にまで広がっている。

たとえば、今年の建築学会大会。登録参加者約1万人、発表件数は8千くらいだろう。

うち木材に関するものは構造系303、防耐火系37、材料系29(主に住宅の耐久性)、その他環境系15(環境負荷・バイオマス関連)、この他あわせて400近い。加えて「木質構造」、「防火(木質耐火構造)」、「地球環境(木材流通のデータベース化とあり方)」というPDがあって、いずれも盛況であった。

構造系の「腐朽・蟻害」では7件の発表があった。ここでの発表者のほとんどは木材学会会員でもある。

もうかなり以前、当時、同じ所属にいたS君が木材腐朽と接合性能の関係を建築学会で報告したことがある。講演の後、木質構造研究のリーダーのお一人のN先生は「あれはすごく大事な研究だけれど、建築学の出身者には手が出せない分野だよなぁ」とおっしゃっていたのを思い出す。

ところが「地球環境」PDの方はといえば、これが、失礼ながら、結構怪しい。パネラーであった木材流通関係のMさんが、開口一番、『先日、林野庁に赴いた際、建築学会での企画意図をお話ししたところ「そんなことできるのかなぁ」といわれた』と述べていたくらいである。木材流通をスティールやコンクリート並みの状態にしたい気持ちも十分にわかるが、…。

木材系の発表件数はこの30年間でおよそ10倍。20年前の阪神・淡路大震災時で100を超え、今では、テーマにかなりの「はやり廃り」はあるものの、毎年コンスタントに300くらいで推移している。

コンクリートから乗り替えてこられた先生も結構多い。それはそれでいいことなんだろうが、あまり知らないところで、随分怪しげな「木材学」「木材流通学」が語られている。

猫だけならまだしも「博士」が語り始めると始末が悪い。

(徒然亭)

ページトップ

前の5件 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14