木材保存誌コラム

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木材保存誌コラム

鉄 ・ 音

みちくさ vol.42 No.3 (2016)

軌道上を走る世界最初の蒸気機関車は、一八〇四年、イギリスのR・トレビシックによって製作された。そして一八二一年、G・スチーブンソンが改良した機関車を用いた旅客輸送が開始された。日本では一八七二年。まぁ、この話は有名である。

ではイギリスの次に鉄道(蒸気機関車牽引の旅客鉄道)が走ったのはどこか、といえば欧州ではなく、アメリカ。一八三〇年、サウスカロライナ州である。ただし、河川や運河による水運が発達していた地域は比較的遅く、たとえばニューヨークでは一八五一年になって走り始めている。

ついでフランス(一八三二)、ドイツ(一八三五)、その後、カナダ、ロシア、オーストリア、イタリア、ベルギーなどが一八四〇年代までに、中近東、南米、インド、オーストラリアでは一八五〇年代、そして日本、中国が一八七〇年代。

ところで、一九世紀後半になると鉄道に因んだ音楽がいくつか出現してくる。

有名なところではヨハン・シュトラウス2世のポルカ「観光列車」で一八六四年の作。今風に言えばコマーシャル音楽、といったところ。彼の弟エドゥアルトにもポルカ「テープは切られた」という作品がある。その他聴いたことはないが「遊覧旅行」「発車の合図」「蒸気を立てろ!」「急行列車」というのもあって、彼、どうみても「てっちゃん」。

その同類といえば、チェコの作曲家、ドヴォルザーク。その証拠として、交響曲「新世界より」の終楽章の冒頭が「蒸気機関車発車時のドラフトのように聞こえる」とか、一八九二年からニューヨークの音楽院に赴任したのは「機関車が見たかったから」と、まことしやかに挙げられている。しかし前者はともかく、後者は怪しい。なぜなら赴任前にチェコではすでに鉄道を見ているはずだからである。「機関車」ではなく、「大型客船」ならおかしくはない。

あと有名なところでは、フランスの作曲家オネゲル。「パシフィック231」という一九二三年の作品がある。これは蒸気機関車の出発から停止までを音楽化した六分程度の管弦楽曲。この231とは、それぞれ先輪・動輪・従輪の数で、…ま、いいか。

ネットで検索していたら「鉄オタクラシック/オーケストラ曲編」というのがあるんだそう。見逃していました。

(徒然亭)

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初めての...

みちくさ vol.42 No.2 (2016)

北海道新幹線開業の1ヵ月前になり、その切符が販売された。新函館発の一番列車では25秒ほどで売り切れたそうだ。この「1号車1番A席」なんてのは、射止めた人にとっての「家宝」になるんだろうな、と思っていた。

ところが翌日の新聞に「ネットオークションに出品、定価の二割増しから二倍で売れる。グランクラスは十万円」とある。

筆者は前日から並んで、そうした切符をぜひ手に入れたい、というような趣味はない。ただ、ラストランが決まった「はまなす」や「カシオペア」も然りで、これらがすぐさまオークションに出されるとなると、「?」である。

その「初めての」とか「最後の」という謳い文句で宣伝されると、興味が引かれ、ついつい買ってしまう商品も多い。筆者の場合では「LP」あるいは「CD」がそれ。

「初めて」の方では、伝説の指揮者ニキシュとベルリン・フィルによるベートーヴェンの5番。一九一三年の録音で、国内で復刻LPが出たときの触れ込みは「初めて録音された…」とあり、これをすぐさま買った。その後調べてみると、「著名な指揮者としては」という条件付きだった。

これはアコースティック録音である。といっても何のことやらお分かりにならないかもしれない。当時はすでにマイクロフォンが発明されていたものの、それを記録する装置がお粗末だった。そこで、集音用ラッパに向かって演奏してダイヤフラムを振動させ、その振動を針に伝達して記録用媒体、つまりレコード用の原盤に溝を刻む、という方法だったのである。今、この録音はCD化され、音質は改善されているとのこと。

世界初の磁気テープレコーダーは一九二八年に出現している。この以前にピアノ線を用いた記録装置が開発されていたのだが、このとき樹脂を基材にした、いわゆる「テープ」を用いたものになった。この「電気吹き込み装置」を用いた録音が「SP盤」として世界に広がっていく。

SP盤は一八八七年にベルリナーが開発した円盤状の蓄音機用レコードの総称で、毎分七八回転、収録時間は片面最大5分程度。そのため録音はその収録時間に合わせ、何回かに分割して行われたという。材質はシェラックで、落とすと割れた。…この章、とりあえず「続く」、ですかね。

(徒然亭)

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在来線の勧め・その2「寸断鉄路の再興」

みちくさ vol.42 No.1 (2016)

前回に続き、またまた鉄道ネタである。ただし、少々重く、かつマニアックになりそうだ。ご容赦。

というのは、先般、書店で「JR崩壊」という、えらく物騒なタイトルの本を見つけてしまったためである。発刊は二〇一三年一二月、内容の中心は当時(というか、今でも)頻発していた「JR北海道」関連の事故とその原因を扱ったものである。帯には「緊急出版!この事態は国鉄民営化の時に予知されていた!」とある。角川書店刊。

要は、一九八七年の「民営化」のとき、本州三社を除く、北海道・九州・四国の各社には運営資金が渡され、その運用益でなんとかできる、という目論見だったらしい。しかしこの直後、バブルははじけ、運用益激減、巨大赤字が累積した。その結果、線路・車両保守点検の手抜きと相成った。

その後も青函トンネル内での火災、その他いくつかの事故が連続して起こった。北海道新幹線開業まで、もう僅かであるが「おいおい、大丈夫かよ!」と思ってしまう。

さて十数年先に新幹線が札幌まで延伸される。その後、函館本線の小樽・函館間は「並行在来線」となるので、経営は「JR北海道」から分離され、第3セクター化される。江差線はすでにそうなった。

第3セクター化は県レベルで行われるため、東北・北陸新幹線では実に妙な運航形態になっている。北海道の場合、そのようなことはないだろうが、函館本線二五〇キロはいかにも長い。

先日の地元紙では「札幌延伸後の在来線・長大三セク残せるか」という記事があり、お手本として九州の八代・川内間「肥薩おれんじ鉄道」があげられていた。新幹線開業の前、熊本から鹿児島までの移動の折、この区間に乗ったことがあるが、新幹線ではほとんどが山の中。しかもトンネル続き。

そこで「新幹線のトンネルの多さを逆手に取った」と、海沿いの一二〇キロ、4時間余りかけて走りながら、地元食材をふんだんに使った料理を提供する列車「おれんじ食堂」を走らせているのだそうだ。車内のテーブルはすべて海向きで、しかも「木材」を多用しているという。これなら乗ってみたくもなる。

江差線も似たような計画が進行中だそうだが、四〇キロ足らずだから、やや短すぎる感じもする。

(徒然亭)

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在来線の勧め

みちくさ vol.41 No.6 (2015)

来春、北海道にも新幹線が走る。もっとも、それは函館までであって、札幌延伸はあと十数年先のことらしい。途中に四駅ほど造る予定というが、その頃の沿線人口を考えると、人よりエゾシカの乗降数の方が多くなるのではないか、と思ったりもする。

鉄道に乗るのは好きである。しかし「乗るためだけにわざわざそこに行く」といった趣味はない。あくまで移動の手段としての鉄道なのである。ただ、そのとき新幹線が走っている区間であっても、とくに急ぎでもない限り、それはできるだけ使いたくない。

一番の理由は、「高速化」と「土地買収」のためにトンネルが極めて多いことで、とくに、山陽・九州・北陸では全体のほぼ半分にもなるそうだ。その点、在来線による「移動」はとても面白い。

以前、京都・名古屋間、静岡・品川間のそれぞれを東海道在来線の乗り継ぎで移動したことがある。いずれも、地形がよく分かり、「車窓」も十分に楽しむことができた。

つい先日、ひょんなことから、比較的近距離にある大分・熊本・山口の三つの県で、ほぼ一日おきに講演をすることになった。その空き日の地域間の移動を調べるため、久しぶりにJRの時刻表を買ってきた。

大分・熊本間はもちろん豊肥線。問題は熊本・山口間。眺めると、熊本・博多間の在来線は結構時間がかかりそうだ。それに門司港駅にも、というわけで、とりあえず小倉まで新幹線、あとは成り行き、という大まかな計画だけ立てて、事に臨んだ。

豊肥線の波野から宮地に向けて阿蘇外輪山に沿って下っていく路線は面白かった。中央線勝沼から甲府盆地、土讃線の香川県境から阿波池田方面、また大杉から高知平野への眺望と似ている。

宮地からは幸運にも「あそぼーい」の先頭パノラマ車両の最前席に乗ることができ、立野のスイッチバックなどを堪能した。これらは新幹線、それに高速道路では味わえない。

さて、門司港から山口までの在来線乗り継ぎを時刻表で調べようとした。これは結構楽しい作業になるはずであったが、小型版にしたため、活字がよく見えない。面倒くさいから、携帯の乗り換え案内で検索してしまった。

(徒然亭)

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ここは地獄?

みちくさ vol.41 No.5 (2015)

手元にある落語のCD、DVD(多くはTV録画)が相当数になってきたので、そのリストを作ってみた。作業の結果を眺めると、ネタ(演目)数は古典、新作含め三百近い。古典落語のネタは江戸・上方合わせて六百は超えるそうだから、ほぼその半数がカバーされていることになる。

演者の多かったのは「寝床」「船徳」「芝浜」「うどん屋」「ちりとてちん」「初天神」「小言幸兵衛」「壷算」「猫の災難」など。落語にはクラシック音楽の楽譜に相当したものはないから、同じネタでも演者や時・場所・持ち時間によってずいぶん変わる。それが面白い。

収録物だけではなく、生の落語を聴くために、一年に数回は足を運ぶ。近くで行われるホールでの落語もあれば、毎日開催されている「定席」もある。

定席では一人の持ち時間は通常十五分。この時間割りにあわせ、落語家が五人ほど、これに漫才など、落語以外の「色物」が組み合わされ、最後にトリが長めの話をして終了、ということになる。この間、中休みもいれて約四時間。

演者は予め知ることができるが、どのような噺がされるのかは、多くの場合、事前には分からない。演者自身が雰囲気に合わせて決めていくのである。聴く方としては、それも楽しみの一つになる。

ただ、どのようなネタを出してもいい、というわけでもなく、一定のルールがある。その一つが「付くネタはしない」、つまり前の出番の人が喋った内容と似たものはできない、ということ。トリの人は、五人ほどが話し終えた後に出るわけだから、持ちネタがかなりないと務まらない。

もう一つは「季節」。夏なら「船徳」「青菜」など。怪談話も定番で、「もう半分」は気味が悪い。

「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」という、死人が活躍する噺もある。これは先日亡くなった桂米朝さんが、古い上方落語にあった「冥土」に因むいくつかのエピソードを繋げて仕上げたもの。全編を演じると一時間を超える。

ところで、随分以前、町外れの飲み屋街で、「HELL  HERE」と表示されたネオンサインを見かけたことがある。「えっ?」と思い、近寄ってよく見ると単語間の「O」と「T」が消えていた。

これ作り話ではない。

(徒然亭)

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